世界の野球を求めて流浪する石原豊一氏が、2010年末~2011年明けに足を運んだオーストラリア野球レポートの第7弾です。『野球小僧』4月号、6月号に掲載された同名の記事に掲載しきれなかった内容を連載中です。ぜひ、誌面と併せてご覧ください。
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1月8日 キャンベラ・キャバルリー対ブリスベン・バンディッツ(ナラバンダ・ベースボールフィールド)
首都キャンベラ・ナラバンダ・ベースボールフィールドへ
豪州の首都はキャンベラである。シドニーやメルボルンなどに比べ影の薄い印象だが、この国のれっきとした首都である。なんでもシドニーとメルボルンの首都誘致合戦の結果、もめごとが起こらないよう、その中間に改めて新首都を造ったらしい。そのせいか、この街にはなにか人間臭さが感じられない。役人と観光客だけが目立つ通りからは、人々が汗を流すスポーツのにおいはまったくと言っていいほど伝わってこなかった。
市の中心からバスで40分。ナラバンダ・ベースボールフィールドは郊外の住宅街の端にある。大した距離ではないのだが、途中でいろいろな停留所を寄り道するバスではずいぶんと時間がかかる。車窓から周囲を見渡してもまったくなにもなかった。
帰国後、メルボルンでプレーしていた西川徹哉(現兵庫ブルーサンダース)は、私がこの球場にも足を運んだと言うと、ずいぶんと驚いていた。
「あそこ、なにもなかったでしょ? 僕らも試合の後、買い物もできなくて困りましたよ」
そのかわり、と言ってはなんだが、球場の良さだけは彼も誉めていた。この球場は、ABLの開幕に合わせて、古いグラウンドを新調したのだった。単なる改築ではなく、フィールドを掘り下げて新しい土を入れ、スタンドも新築された球場は、アメリカのマイナーのそれに劣らない“ボールパーク”と呼ぶにふさわしいものに生まれ変わっていた。
この日のイベント、プレスリー・デイを盛り上げるため、自らプレスリーのコスプレをするキャンベラの球団スタッフたち |
そのボールパークに足を運ぶと、エルビス・プレスリーのコスプレをした妙齢の女性が出迎えてくれた。サブGMのメガン・サリック女史だ。GMと言えどもこの小規模リーグではさまざまな役をこなさねばならない。彼女はほかのスタッフとともにこの日のイベントであるプレスリー・デイ(ファンがイニング間にプレスリーのものまねコンテストをする)を盛り上げようと、このような格好をしているのだった。
あいさつの後、彼女は私の頭にあったアデレードのキャップを見て、「それはここではいけないものよ」と別のスタッフを走らせた。無論、私の頭には「CC」のマークのあるキャンベラのキャップがのることになった。
彼女をはじめ、球団スタッフはつねに動き回っている。ギリギリの小所帯で運営されているこのプロ野球では、特に試合前はスタッフのやることが山ほどある。彼女たちがその働きに見合う報酬を受け取っているわけではないだろう。野球に対する情熱がなければ、とてもじゃないができる仕事ではない。走り回りながら見せる彼ら彼女たちの笑顔はそのことを雄弁に物語っている。
まあ、もちろん、ABLのスタッフ全員がそのように真面目に野球に取り組んでいるわけではない。「MLBから出向してきた」というある球団のお調子者のGMなどは、集合時間にはいつものように遅れ、遠征中のある時などはしびれをきらした選手だかスタッフがホテルの部屋に彼を起こしに行くと、大酒を飲んですっかり寝入っていた彼の隣に女体が横たわっていたということもあったそうだ。まあ、それもなんだかオージーっぽくて笑える話なのだが。
 外野手登録ながら先発したジャレット・コマネ(キャンベラ)。しかし、1イニングを投げきることができずに降板 |
“育成”と“哀愁”の入り交じる投手継投
キャンベラの先発は、大学を卒業し、12月にチームに合流したばかりのジャレット・コマネだった。外野手登録の彼にとって、この夜のマウンドは2度目の登板である。すでにプレーオフ進出の望みも低くなり、来季を見据えた起用なのだろうが、この起用はあまりに無謀だった。いかにもアマチュアというか、場慣れしていないその投球フォームから繰り出されるストレートは、ブリスベンのベテラン打者に通じるはずもない。先頭打者に四球を与えると、続くジョシュア・ロバーツにライト前に持っていかれ、次打者にまた四球。1つのアウトも取らないうちに、満塁になってしまった。
結局、彼は3点を失い、塁上に2人のランナーを残してマウンドを去った。取ったアウトは犠牲フライによる1つだけ。これには、さすがに結果に鷹揚なオージーのファンたちも拍手を送らず。この若い急造投手は、ベンチでもチームメイトに声すらかけられないまま、ひとり呆然と座り込むことになった。
2番手で登場したのは、ロイヤルズのマイナーでもプレーした経験もあるフィル・ブラッシントンだった。しかし、今年41歳になるこの老雄に多くを求めるのは酷だった。もはや彼はまともなストレートを投げることはできず、投球のほとんどすべてが蠅の止まるようなナックルボールだった。打者の多くはこの遅球にタイミングが合わず、ポップフライを上げるのだが、いかんせんストライクが入らない。カウントを苦しくした後に、やむなく置きにいったストレートをことごとく痛打される。結局、初回はさらに3点を献上し、2回にも5点をブリスベンに取られた彼はこの回でお役御免となった。
ベンチで落ち込むコマネ。ちなみにすでにスタートしている2011年のリーグ戦では投手登録されている |
2回を終わって11対1。ここではよくあるパターンだ。今年の日本のプロ野球は低反発球の影響でサッカーみたいなスコアが並んでいるが、この冬のABLは、まるでラグビーのようなスコアが並んでいた。4回の表にブリスベンがさらに2点をとって13対1としたが、観客たちはブーイングをするわけでもなく、席を立つわけでもなくビール片手にフィールドを眺めながらおしゃべりに興じている。何かを待っているかのように。
その「何か」が起こったのは、その裏の攻撃だった。2005年にアメリカのA級でプレーしていた指名打者トム・ビンセントの二塁打を皮切りにキャンベラは反撃を始めた。この回さらにシングルヒットと四球を一つを絡め、最後はアテネの銀メダリスト、ニック・キンプトンの二塁打で計3点を返した。お決まりの乱打戦の始まりだ。スタンドの観客も待ってましたとばかりにやんややんやの大喝采。
反撃されたブリスベンは6回に3点を加えやり返すが、キャンベラはその裏に1点、7回にまた1点、そして8回裏にはアメリカから来た助っ人ドナルド・ルッツ(現レッズA級)のホームランが飛び出して16対9まで迫った。スタンドはもうお祭り騒ぎだ。
そして9回表。なんとか7点差までせまったものの(日本では絶望的なこの点差もオーストラリアではまだ期待が持てる)、すでに5人のピッチャーが枕を並べて討ち死にしたキャンベラはもうブルペンから送るピッチャーがおらず、なんと兼任コーチのビンセントが指名打者制を放棄してマウンドに上がった。なんだか草野球みたいになってきたが、ビンセントは1四球を出したものの、何とか無失点で切り抜けた。スタンドのスタンディングオベイションとフィールドの選手に迎え入れられたベテランは、笑顔でベンチにつき、肘をさすっていた。
大量点差の試合終盤に5点を返したキャンベラの最後の攻撃にスタンドの期待は高まったが、9回裏の攻撃はあっさり2人が倒れ、最後もこの球場一番人気のカナダ人イアン・チョイがスタンドからの「チョイ・コール」の中、力ないファーストフライに倒れた。
規格外こそオーストラリア野球
翌日、私はキャンベラからシドニー空港への直通バスに乗った。200キロほど離れた両都市間を結ぶバスは、国際空港へ立ち寄ってくれるのだ。前売りで切符を買うとなんと15ドル。日本円で1300円ほどである。シドニー空港からわずか20分くらいの市内への地下鉄もなぜか同額であった。
なんともわからないなと思いつつ、豪州野球のことを考えていた。
アメリカでの長いシーズンが終わり、ゆっくり休めばいいのに地元のアマチュアチームでプレーするマイナーリーガーたち。そんな野球バカを集めてプロリーグを作ったら、メジャーリーガーまで参加して、おまけに町のバーテンダーまで入れてくれとホームランをかっ飛ばす。時として、日本から来たプロの投手たちでさえ、彼らに滅多打ちを食らうことがあるのだ。
そんなハチャメチャな野球を拍手喝采で迎えるオージーの観客たちは地元チームが勝とうが負けようが笑顔でフィールドにまなざしを送っていた。
日本の規格ではわからないことだらけの豪州の旅、そして野球だった。そんな規格外のところがこの国の魅力であるし、だからこそ世界じゅうから人々を集めるのだろう。この国のプロ野球が、いつの日か日本や韓国、メジャーに肩を並べる日が来るのか否か?
そんなことを思いながら、空港の屋上からシドニーのスカイスクレイパーを眺めていた。
■石原豊一(いしはら・とよかず)
大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦している。