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『野球小僧』編集部アンケート

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2010-04-12

カリビアン・ウィンターリーグ紀行《プエルトリコ編》」 -番外編-

 『野球小僧』4月号に登場した「カリビアン・ウィンターリーグ紀行《プエルトリコ編》」読んでいただいたでしょうか?
 「流離いの海外野球放浪観戦者(?)」こと石原豊一さんによる海外野球紀行は、「イスラエル野球紀行」、「メキシコ・ウインターリーグ紀行」、「ニカラグア野球紀行」など、当ブログでいくつも公開され、すっかりおなじみとなっています。その流れから、昨年末に行かれたプエルトリコの野球紀行文が4月号で掲載されるに至りました。

 今回はその番外編として、誌面に掲載しきれなかったエピソードをご紹介します。

 なお、5月10日発売『野球小僧』6月号では、続編として、プエルトリコからその足で訪問したドミニカ共和国の紀行文を掲載します。題して「カリビアン・ウィンターリーグ紀行《ドミニカ編》」です。そちらの方も、ご期待ください。

 それでは、今回の番外編をどうぞ!

      

▼石原豊一さんの過去記事のリンクはコチラ
海外紀行編

 ①イスラエル野球紀行 →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat2140867/index.html
 ②メキシコ・ウインターリーグ紀行 →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat82358/index.html
 ③ニカラグア野球紀行 →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat4323204/index.html

独立リーグ編

 ⑥北信越BCリーグ観戦記(北信越BCリーグリンク内) →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat588962/index.html
 ⑦長崎セインツを救え(四国・九州アイランドリーグリンク内) →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat81718/index.html

ベースボールディアスポラ(野球離散民)を訪ねて(⑧前田勝宏編、⑨高橋建編)
 →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat5680355/index.html

  

 

▼知られざるウィンターリーグ~プエルトリコ番外編

 プロ野球2010年シーズンも開幕した。今年も巨人のエドガー・ゴンザレスを筆頭に、ラテンアメリカからたくさんの助っ人が新たに日本球界に身を投じる。彼らの多くは、メジャーリーグのオフシーズンに行われるウィンターリーグでの活躍が認められて、日本プロ野球との契約にこぎつけている。そのことは、毎年この季節になると新聞上などで、ファンに知らされているが、実のところ、報道する側もこのリーグについての知識は乏しいようで、チーム名その他、時折誤った記述がなされていることもある。
 世界の野球を見つめ続け、『世界野球選手名鑑』というおそらく世界で唯一のワールドワイドな野球名鑑を毎年発行し続けている『野球小僧』のライターとして、この状況を捨ておいてはいけない。
 なんとか日本の野球ファンにこのタレントの宝庫を紹介したいと、この冬も筆者はカリブ海へと飛んだ。

12月23日 アレシボ
 アレシボは、北海岸中部に位置する。昨夜観戦した町、アグアディージャを朝一番、7時に出発した乗り合い自動車・プブリコは、この町を経由せず、途中で降りる羽目になった。別の車をつかまえてたどり着いたこの町は、すっかり寂れていて、セントロに唯一あるホテルは、他の町と同じく下宿屋に替わっており、旅人を受け入れてはくれなかった。
 島中から若者が米国本土に出稼ぎに出るプエルトリコにあって、地方都市の衰退は著しく、この町の中心からはすっかり若者の姿がなくなっている。

「みんな郊外かサンファンに出て行ってしまったよ。すっかり年寄りの町になってしまった」

Arecibo事務所を訪れると、アレシボ・ロボスのオーナー、クルス・ベンザン氏が出迎えてくれた

 町にあったベースボールカードショップの老店主は、品薄をわびながら、首都のショッピングセンターに行けば、この島出身の選手のカードが並んでいると教えてくれた。

 スタジアムには、かつてのドジャースで活躍した、ルイス・オルモの名がつけられている。事務所を訪ねると、オーナーのクルス・ベンザン氏が出迎えてくれた。
 この町に球団ができたのは、1961年のことだという。チーム名の「ロボス」は、狼の意味である。かつて大洋ホエールズで首位打者を獲得したフェリックス・ミヤーンが指揮をとったこともあるこの球団は、2005年に球場の賃貸料交渉が決裂してこの町を去ることになったが、2008-09年のシーズンに戻ってきた。頻繁に繰り返すフランチャイズの変更は、不入りに悩むプエルトリコ野球の現状を反映している。

 プエルトリコ初の日本人選手は、実はこのチームでプレーした。マリナーズやオリックスでプレーしたマック鈴木が1997-98年シーズンをここで過ごしている。
 彼に関する裏話をオーナーが披露してくれた。
 プエルトリコにやってきたマックは、労働ビザを持っていなかったらしい。マイナーや独立リーグでは、実のところ、こういうケースは珍しいことではないそうだが、トラブルを恐れた球団は、彼との契約書の金額欄に「1$」と書き入れ、彼のリーグ参加を事実上「労働」ではないとしたという。オーナーはウィンクして右手を机の下に回した。無論ギャラは裏で支払ったという意味だ。
  オーナーズルームにいたユニフォーム姿の男は、コーチをしていると言った。親日家らしく、なにかと話しかけてくる。選手としては大成せず、2A度止まり。4年前に現役を終えたそうだが、99年に在籍していた独立系のフロンティア・リーグに在籍していた時、テレビの企画で選手として参加していたタレントの松村邦一さんとルームメイトだったという。

 「マツムラ元気かな?」

 人懐こい笑顔を見せながら、現役時代唯一テレビに自分の映像が流れたときのことを想い出していた。

 この日の先発は、元ダイエーのヘクトール・メルカド。彼も他の多くのプエルトリカン同様、現役メジャーリーガーとして期待されて来日したものの、満足いく成績を残すことはできなかった。
 メルカドは人物的には実に親切で、私にも何かと世話を焼いてくれた。また、この夜は投球もまずまずで、序盤は鋭く縦に曲がるスライダーと、これと同じ軌道で落ちるチェンジアップでロボス打線を翻弄、先発としての役割を果たし勝利投手になっていた。 

Cruiseコーチのイバン・クルーズ。阪神、中日などでプレーした経験をもつ

 それにしても、この国のプロ野球は実にのんびりしている。試合中もカメラマンはフィールドに残ってベースコーチのすぐ後ろで撮影している。
 一塁ベースコーチは、イバン・クルーズ(元中日、阪神)。試合前からなにかとちょっかいをかけてくる陽気なプエルトリカンだ。プレー中もている。プレー中のフィールドでも審判と雑談に興じ、このカメラマンやランナー、はては敵チームの野手と無駄話をしている。
 私が15年前、メキシコで野球を見たときも、試合中のフィールドでマイク片手に実況していたラジオアナウンサーを見てたまげたものだが、いいにつけ悪いにつけ、彼らは大らかだ。
 オーナーら経営者と選手、ファンとの距離も近く、その家族的な雰囲気的は、日本や北米の独立リーグのそれに似ている。ラテンアメリカでは、クリスマスイブとクリスマス当日は完全休養日で試合がないのだが、この夜はクリスマス前最後の試合ということで、オーナーからのプレゼントとして試合後、パーティーが催された。
 客の去ったスタンド下の通路にはテーブルがしつらえられ、豚の丸焼きをメインディッシュにした料理がふるまわれた。選手はもちろん、球場スタッフから、売り子までチーム運営に関わっている者は皆招待されている。オーナーのチームに対する愛情がにじみ出たような、素朴だが、こころ温まる宴だった。

 この夜は遅くまで、メレンゲのバンド演奏が球場に響きわたっていた。

<終>

   

         

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦している。09年末にプエルトリコ、ドミニカのウィンターリーグを観戦。『野球小僧』4月号『野球小僧世界野球選手名鑑』(ともに発売中)にて、そのとき得た情報を記事にしている。次号『野球小僧』6月号では、ドミニカ共和国を訪問した際のエピソードが掲載される予定。

2008-02-15

イスラエル野球紀行 第17回(最終回)

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では昨年9月10日に発売された07年10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
 ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 以後、これまで週1回のペースで連載しておりましたが、今回はいよいよ最終回となりました。これまでの旅を振り返って、イスラエル野球について総括いたします。

イスラエル野球紀行の過去の記事はこちら

        
           

現地を去りしあと

 シーズン最終戦、8月15日。
 リョージュは今シーズン2度目の、そして最後の先発を果たした。残念ながら僕は帰りの飛行機の都合で隣国のヨルダンに向かわねばならず、実際に見ることはできなかったが、首都エルサレムのインターネットカフェからウェブサイトで彼の投球を確認した。
 味方のエラーに足を引っ張られ、負けはしたものの、6回9失点、自責点3で完投をおさめた。プレーオフに備えてピッチャーを温存しておきたいチーム事情を考えると、十分な仕事をしたといえるだろう。
 シーズン4位のタイガースは、16日のプレーオフ1回戦で、部屋に泊めてくれたコロンビア人ラファエル・ロハーノが完封。2回戦に進出したが、17日の試合では1位ブルーソックスのエース、フェリシアーノに3点におさえられてシーズンを終えた。
 プレーオフ決勝は、シーズン3位から勝ちあがったモディーンとブルーソックスの元メジャーリーガー監督同士の対戦となった。
 ヤルコンフィールドに2610人の大観衆を集めて、9回制で行われた試合は3対0でブルーソックスが勝利。IBL初代チャンピオンに輝いた。
 この試合で完封勝利を挙げ、優勝投手となったラファエル・バーグストームは、フェリシアーノと並ぶ7勝、防御率4位の2.44、奪三振56。この成績が認められ、シーズン終了後、米独立リーグで最もレベルの高いと言われているアトランティック・リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約を果たした。IBL出身者として最初のアメリカプロチームとの契約者である。

        

この国に野球が少しでも浸透してくれていることに拍手

 それにしても、毎試合のように出るエラー、走塁ミスなど、選手のレベルの低さから来るつたないプレーが多かったイスラエルのプロ野球だったが、毎試合100人ほどの観客は懸命な選手達のプレーに大喜びだった。観衆のほとんどは「祖国」を目指してこの地に移住してきたアメリカ人である。長い間彼らは生国のナショナルスポーツ、ベースボールをテレビ中継でしか見ることができなかった。彼らは「生のプロ野球」に飢えていたのだろう。プレーの質はともかく、一生懸命の選手達に観客達は毎試合惜しみない拍手を送っていた。
 あるファンはこう言っていた。

「そりゃIBLの選手のプレーはまだまだお粗末なものだよ。でも俺達はメジャーリーグのようなプレーを彼らに求めているんじゃないんだ。そんなものはテレビで見るからね。このリーグの雰囲気は、そう、マイナーリーグのやつだよ。選手と気軽に接することができて、その選手の成長を見届ける。それがこのリーグの醍醐味なんだ」

 確かにこんなに選手との距離が近いリーグはないだろう。なにしろ試合中に選手と子供がキャッチボールしているくらいだ。それはまだまだ選手にプロ意識が欠けているから起こることであるのだが、IBLの使命のひとつに野球をこの地に広めるということがある。選手とのキャッチボールは子供達必ずやこのスポーツへといざなうことだろう。
 それを可能にしているのが、スタンドもないこの国の球場だ。
 野球創生期を思い起こさせるその風景、ことに畑を切り開いて造られたゲゼルフィールドはあの映画「フィールドオブドリームズ」を連想させ、この球場にはノスタルジアを求めるファンが足を運ぶ。
 テルアビブのスポーテック球場敷地内、フィールドの横は空き地になっている。試合に飽きた子供達はここでキャッチボールをしているのだが、ここに2人の若者がいた。キャッチボールの姿は実にぎこちない。
 聞けば隣のグランドでサッカーをしていたのだが、「プロ野球」なるものをやっているのを見て、チケットを買って入ってきたらしい。
「スポーツはなんでも好きなんだ」
という彼は、ついでにグラブとボールを買って、キャッチボールなるものをやっている。
 IBLの各球場ではこのようなファンのために、野球道具が一式販売されている。こういう出来事に遭遇すると、IBLが草の根的に野球のイスラエルへの普及に貢献していることが実感できる。もはや、この中東の地でのプロ野球は、最初に発足したユダヤ系アメリカ人の発起人、ラリー・バラス氏の「祖国」=エレツ・イスラエルへの思いだけでなされているわけではない、ということだろう。
 そして、後援しているMLBの目論みとしては、新たな市場、選手供給地、そしてその選手の育成の場の開拓という側面もある。フリーエージェント制導入後、高騰する人件費抑制のため、MLBは中米野球への支配を拡大してきた。このIBLのスタートもその延長線上にあるといってよい。純粋なビジネスとしては1試合100人程度の興行など成立しない。このリーグはMLBの先行投資であり、マイナーリーグのひとつなのだ。
 僕は野球が大好きだ。だからどのような理由であれ、野球が世界に広がって行くことは喜ばしい。このすばらしいゲームを中東のこの地に伝えたバラス氏に拍手を送りたい。

       

「約束の地」を目指すように

 さて、シーズンが終わり、選手達は今ごろどうしているのだろう。米国人やカナダ人の多くは「ロングバケーション」を終え、ユニフォームをスーツに着替えて元の仕事に戻ったことだろう。
 また、ある者は新たなプレー先を求めて、アルバイトをしながら地元のクラブチームに、ドミニカンやコロンビアンは米国の独立リーグや中南米のウィンターリーグに新たな活躍の場を見出しているかもしれない。
 イスラエル人のルーキー達は…。彼らに避けて通れない壁、兵役が待っている。このことはブルーソックスのレイクマンに聞いたのだが、高校を卒業したばかりの彼はシーズンが終わると実家のあるキブツ・ゲゼルに戻り、ゆっくるする間もないまま、祖国を守るため兵役につかねばならない。
 そしてリョージュ。彼は自分の夢を叶え、そして自分の力を十分に知った。帰国後は就職活動をすると言う。

「ここであきらめたら、日本に帰ってなにをやってもまた中途半端に終わると思ったんですよ」

 はるばるイスラエルまでやって来た理由を彼はこう言った。寄り道ばかりの人生の中で、ただひとつ好きな野球をやり続けて「プロ野球」選手になった彼の姿勢には大いに拍手を送りたい。
 結局、彼のマウンド上での姿は見ることはできなかったが、キャッチボールの姿、成績から見る限り、そのポーテンシャルがプロフェッショナルなそれに届いていないことは確かだ。そしてそのことは彼自身が一番よく知っている。
 しかし、「IBL最初の日本人選手」としての彼の名は永遠に消えることはない。シーズン最終戦、おそらくプロとしての最後の登板において、マウンド上での彼は一瞬ではあるが野茂英雄(ロイヤルズ)になったに違いない。彼はイスラエルにおける日本人のパイオニアだったのだから。

 IBLはチャンピオンシップ終了後、すぐに2008年のシーズン開始の日程を発表した。来年の6月には、またあの河川敷のグランドのようなスポーテックに、フィールドオブドリームズの丘、ゲゼルに、そして神宮外苑の軟式野球場のようなヤルコンに選手達は帰ってくるだろう。

 世界中に散らばったディアスポラ達が、かつてこの「約束の地」イスラエル目指して集ってきたように。

 この「エルツ・ボール」に。

      

<ご愛読、ありがとうございました!>
        

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
http://kozo.weblogs.jp/kozo/2007/05/post_4ba1.html

2008-02-08

イスラエル野球紀行 第16回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では昨年9月10日に発売された07年10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
 ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 現在はそれをもとにして、当ブログにて週1回のペースで連載しております。今回は15回目。滞在も最終日となり、いよいよ終わりが見えてきました。
 我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

イスラエル野球紀行の過去の記事はこちら

        
           

■ラストゲーム(8月14日 ベトシェメシュ・ブルーソックス対テルアビブ・ライトニング戦[テルアビブ・スポーテック])~その4

       
試合は5回へ突入

 試合は観客の興味も薄れはじめる5回に突入した。この回になって、突如としてブルーソックスの反撃が始まる。
 8番指名打者のアイヤーズが三振後、ラストバッターで、なんと今日ユニフォームを忘れてきたクレイマーがフォアボールを選んだのがきっかけだった。IBLではこういう無駄な四球からピッチャーが崩れる事が多いが、この試合もまさにこのパターンだった。
 テルアビブはリリーフ陣に問題があるらしく、昨日も序盤を楽勝のペースで進めながら、先発のプリブルが交替したとたん、投手が総崩れとなって試合を落としている。
 続くシーン・スローターのとき、ピッチャーの動作が不自然だったということで、攻撃側からボークではないか、という抗議が出た。確かに投球動作を一旦停止したように見えたが、審判はボークではないと言う。ここでは、選手のレベルに比例して、審判のレベルも決して高くない。見ていてあれっ、と思うことも多い。今回の判定もそのたぐいで、さすがに納得いかないのか、ブルーソックスのブロンバーグ監督がグラウンドに出てきて少しもめた。が、審判の判定は覆るはずもなくそのまま試合続行。その直後にシーンは三塁線にうまくバントを転がし、一塁セーフ。試合が大きく動きそうな予感だ。
 続く2番、首位打者のレイムンドの当たりは、ショート前にボテボテのゴロが転がる微妙なタイミングだったが、名手フランコの矢のような送球はレイムンドの足より一瞬早くファーストミットに収まった。このリーグでは彼の守備力は際立っている。
 ところが、弘法も筆の誤り、次の3番リーズのなんでもないゴロをフランコがはじき、ブルーソックスに2点が入った。それまでしらけムードだった場内の空気が大きく変わる。やる気のなかった一塁ベンチか、急に聞こえるようになった大きな掛け声につれらたのか、おしゃべりに興じていた観客の目が再びフィールドに注がれた。

        

Barman観客席で談笑する兼任コーチのパールマン。まさか、このあとマウンドに上がるとは…

追い上げムードのブルーソックスも3番手投手は…

 これでなんとなくブルーソックスに追い上げムードが出てきた。攻撃が終わると、ブルーソックスは3番手ピッチャーを投入。点を取った後だけに、好投手でリズムよく抑えてさらに追い上げ体制を整えたい。
 ところが、プレーオフの事も考えてこんな消化試合に「戦力」は投入できないのだろうか、リリーフのマウンドの立ったのは背の低い保太ったオッチャンだった。よく見れば、さっきまで試合そっちのけで、ネット裏の観客と椅子に座ってしゃべっていたコーチのパールマンである。このグランドの横を、何も知らない日本人旅行者が通れば、ああ草野球をしてるんだ、としか思わないだろう。彼の投じる球は予想に反することなく、まさに草野球並みのスピードでキャッチャーのミットへ向かっている。パスッ、というなんとも鈍い音をたてて投球練習は終わった。
 再びプレーボール。
 ところがこの40歳の元セミプロ選手だったと言うアメリカ人は、その遅い球を駆使して、これまでおもにリリーフとしてチーム最多の11試合に登板している。2勝2敗1セーブの防御率5.19となんとも微妙な成績だが、少し前までのチーム防御率が5.26だからチーム内では結構頼りになる存在なのだろう。実際見てみると、なかなかどうして最初のバッターにセンター前ヒットは許したものの、2回を無失点、たまにサイドスローから投げるなどバッターを幻惑して、三振も2つとって流れを引き寄せた。
 しかし5回も終わると、昨日と同じように辺りはもう暗くなってきた。両軍の首脳陣が出てきて審判と協議したが、なぜか試合続行。6回終了時にはもう無理だろうと思われたが、選手はやる気マンマンで、駆け足でフィールドに散らばってゆく。

         

しまりのないラストプレー

Lopezブルーソックスの4番ロペス。この日はヒットを放つなど活躍した

 結局試合は7回、最終回の表、ブルーソックスの攻撃に入った。ここでこれまで好投していたテルアビブ先発のコーフマンが突如乱れる。先頭からなんと3連続四球。塁が埋まる度に観客は大騒ぎ。テルアビブの応援ボードを持った子供と、ブルーソックスのボードを持ったファンが隣り合わせで声を張り上げている。
 これにはテルアビブ側もたまらず、ピッチャーを交替した。2番手はエトキン。全てリリーフ登板で4勝1セーブを挙げているリリーフエースだ。昨日の試合でも2番手投手がつるべ打ちにあった後、出てきて後続をピシャッと押さえている。期待通り彼はノーアウト満塁のピンチから強打者リーズを内野フライにしとめた。
 ところが、一度目覚めたブルーソックスの打線を止めるのは容易ではない。4番ロペスはこのチャンスにライト前ヒットで応えた。それにしてもこの暗い中、ボールが良く見えるもんだ。ランナーが2人還り1点差。なおもワンアウト一、三塁。それにしても追いついたらどうするのだろう。そろそろ陽は本当に暮れてしまう。
 ここでブルーソックス、ブロンバーク監督が動いた。ここにきて今さら本気で勝ちにきている。一塁走者ロペスに代走を送り、5番ブレノリッツになんと代打を送ってきた。投手のフェリシアーノ。まさに草野球の世界だ。
 この「草野球」の世界において、フェシリアーノの打撃力は練習などしなくても他を圧倒している。ここまで6打数3安打の打率5割。レギュラーで出ていれば間違いなくタイトルをとるだろう。彼のバットはボールを捉え、ライトに大きなフライを打ち上げた。犠牲フライで同点だ。それにしても本当にこの後どうするんだ?
 ところがやはりIBL、ここで信じられない事が起こる。一塁ランナーの代走カーディナルが久しぶりの出場に気合が入る過ぎたのか、すでに二塁ベースを蹴っていた。ベンチから悲鳴にも似た怒号が飛ぶ。
「Go back!」
 ライトから一塁へボールが送られてゲッツー。とんでもないボーンヘッドだ。そのうえ、三塁ランナーも全力疾走を怠り、第三アウト成立までにホームを踏んでいないと判断された。主審は一塁のプレーに気を取られ、ホームベースを確認していなかったようにも見えたが、タイミングは確かに微妙だった。
 ゲームセット。1点差でテルアビブの勝利となった。
 これにはブルーソックス側の腹が収まらず、ナイン達は主審に詰め寄った。陽は沈み、辺りはどんどん暗くなってゆく。なんだかへたなコントの幕引きみたいだ。
 審判の判定が覆るはずもなく。よくよく考えればブルーソックスにとってこの試合はそもそもどうでもよい消化試合。かくして70人の観衆と10人ほどのスタッフの前で繰り広げられた今年のイスラエルリーグを象徴するような試合は幕を閉じた。
 元メジャーリーガーのブロンバーグ監督はいくら消化ゲームとは言え、さすがにこの敗戦には怒り心頭のようで、いつもの外野フィールドでのミーティングの後、全選手に腹筋運動を命じていた。

      

<次週はいよいよ最終回です!>
        

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
http://kozo.weblogs.jp/kozo/2007/05/post_4ba1.html

2008-01-29

イスラエル野球紀行 第15回

A_map_of_israel_2

 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では昨年9月10日に発売された07年10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
 ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 現在はそれをもとにして、当ブログにて週1回のペースで連載しております。今回は15回目。我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

イスラエル野球紀行の過去の記事はこちら
           

         

■ラストゲーム(8月14日 ベトシェメシュ・ブルーソックス対テルアビブ・ライトニング戦[テルアビブ・スポーテック])~その2

       
3Aのプレー経験もあるフランコ

 テルアビブの一塁走者が牽制で刺されてチェンジになったとき、バッターボックスで一体何をやっているんだという表情で立ちすくんでたのは、3番打者のフランコ。ショートを守るこの選手は、ドミニカの野球選手の名産地サンペドロ・マコリスの出身だ。この町からはあのサミー・ソーサも出ている。彼は48歳で今なおメジャーで活躍しているフリオ・フランコの親戚だそうだ。まあ、一族郎党に野球選手のいない人はいないという町柄だから、これも決して驚くことではない。
 フランコは94年にフロリダ・マーリンズと契約。99年には3Aまで昇りつめたものの、故障で夢潰え、ここ3年はイタリアでプレーしていたという。このリーグについては友人から聞き、ドミニカでのトライアウトを受け、はるばるイスラエルまでやってきた。

Francoテルアビブのショートを守るフランコは3Aの経験もあるドミニカンだ
 イタリアのほうが野球のシーズンは長い。1度しか行ったことはないが、スタジアムやグランドもよほどいい。にもかかわらず、イスラエルにやって来たというのは、ここでの2ヶ月2000ドルというギャラはよほど魅力的なのだろうか。ここでのシーズンの後は、ドミニカに帰ってコロンビアかニカラグアのウィンターリーグで職を得ようと考えている。アメリカでの夢破れた彼を雇おうという球団はカリブ一の強豪・ドミニカにはないらしい。
 それでも彼の守備はすばらしい。この日はひとつ三遊間のゴロを捕り損ねたが、彼がエラーするならそれはグランドが悪いんだと納得させられるくらいの技術がある。ファーストへの送球はまさに「糸を引く」ような感じで、タイガースのサントスと並び、このリーグでは双璧をなすだろう。それにしてもこんな選手と46歳のガードナーが同じフィールドで対戦するなんて、全くもって不思議なリーグだ。

               

老雄ガードナーようやく降板

 3回の裏、テルアビブの攻撃。老雄の終わりはあっけなくやって来た。
 ブルーソックスはすっかり休日モードなのか、全く点が取れない状況だったが、テルアビブもそのペースにおつきあい。この回が始まるまでなんとノーヒットだった。ガードナーのスローボールを見極めることはできても遅すぎて打ち返せない。
 この回も先頭フランコはショートゴロに倒れる。次の4番ブリトーにはデッドボール。当たっても痛くないのでバッターもほとんどよけない。もう老いた彼には余力は残っていないのか、踏ん張りの利かないまま投げた次のバッターの初球は、打者の背中を抜けるほどだった。
 また四球のオンパレードが始まるのかと思ったが、俺でもいけるよとばかり盗塁を試みたブリトーをテルアビブ大学の大学院生キャッチャー・ブレノリッツがまたもや矢のような送球で刺した。しかし、せっかく2アウトまできたのに、次のフィッシュにレフト前にはじき返される。観客は大喜びだ。相変わらずイスラエルのファンはノリがいい。ヒットであろうと、フォアボールであろうと、少しでも試合が動けば狂わんばかりに大叫びする。
 ここで、監督は始めからヒットが出たら替えると決めていたのか、マウンドに向かって、この回に初めからブルペンに行かせていた2番手ピッチャーへの交代を告げた。
 ガードナーも気が済んだのか、監督がマウンドに到着する前に、自分からマウンドを降り、監督にボールを投げ渡した。なぜこのタイミングなのかはわからないが、このピッチャーが早く降りないと試合が成立しない恐れさえある。このスポーテックには照明がないのだから。
 代わったピンカスは何とかテルアビブの6番打者で昨日の先発ピッチャー、プリブルをセンターフライに打ちとってスリーアウトとした。

         

日没迫る中、緊張感のないゲーム展開に

 4回のブルーソックスは、3番打者でホームラン王争いをしているリーズからの好打順だったが、2本のヒットで足がかりを築いたツーアウト二、三塁のチャンスで7番ピアーズがあえなく三振。チャンスを逃した。
 5回、テルアビブの猛攻はなおも続く。ガードナーに替わった2番手のピンカスは、先発が先発だっただけに球も速く見えるので、いいかと思わせたが、イニングが変わるととたんに乱れだし、デッドボールにフォアボールなどで満塁とすると、2番のブリルに二塁打を食らってあっという間に3点が追加された。
 これでスコアは5-0。全くもってだらだらした試合だ。勝負はともかく、昨日と同じく日が傾いてきて、影が随分長くなってきている。試合が成立するかが心配になってきた。なにしろ明後日からはプレーオフが始まるのだ。何とか試合を成立させなければならない。
 7回戦制で4回終了時で5-0。普通に考えると勝負は決まったも同然だ。おまけに相手のブルーソックスにとっては完全な消化試合。おそらく逆転する気などさらさらないだろう。
 客席に目をやると、さっきまで観衆で埋まっていたネット裏の椅子席には誰もいない。椅子席のさらに裏の原っぱで、皆夕涼みよろしく談笑している。この球場の一塁ファールラインのフェンスの外には広場になっているが、子ども達は皆キャッチボールに興じていた。試合には全く興味がないようで、投球の時だけファールボールが飛んできたらボールをいただこうとバッターボックスに目をやっている。おまけにフェリシアーノなんかはベンチを出て、小さな子供相手にボールを転がして遊んでいる。
 「今日、ヤルキナイヨ」どうも彼は、今日先発のガードーナー起用が御気に召さないらしい。そらそうだ。ドミニカ、日本とプロ球界でもまれてきた彼から見れば、消化ゲームとは言え、あんな素人親父がプロのマウンドに立つこと自体バカバカしいことなのだろう。
 当のガードナー氏は登板が終わると高級そうな一眼レフのデジカメをぶら下げてベンチを出てそこいらをうろうろして写真を撮っている。時たま彼に寄り添っている若い白人の女は彼の「現地妻」なのだろうか。

Gardnerブルーソックス先発投手で、今年46歳のガードナーは、満足げにマウンドを降りた
 フェリシアーノの話だと、ガードナーは弁護士らしい。IBLに知人がいるらしく、そのツテで入団を果たしたようだ。そういえば、タイガースの監督も弁護士だ。おそらく強力なコネを使って彼は「プロ野球選手」の夢を実現したのだろう。彼は球場への移動も選手のバスを使わず、マイカー通勤している。あの評判の悪い食堂で彼を見かけたこともない。宿舎だけは皆と同じドミトリーにいるが、それ以外は全く特別扱いだ。ドミニカのアカデミー出身のフェリシアーノが気分がいいはずもない。もっとも気のいいフェリシアーノは「人間的にはガードナーはいい人間だ」とは言っていたが…。
 そんなチームメートの複雑な心境をよそに、“記念登板”を終えた氏は、ユニフォーム姿で球場内をうろつき、写真を撮りまくっている。
 当人を捕まえて話を聞いてみた。

石原 あのー。失礼ですが、あなたはどうしてこのイスラエルに選手としてやってきたのですか? 少し年をとりすぎているように思うのですが。46でしょ?
ガードナー No problem.まだ45だよ。今年中には46になるけどね。私はこのIBLを助けるためにはるばるやってきたのだよ。

 そのセリフは自身に満ちていた。

石原 お仕事はどうしたのですか? お辞めになったきたのですか?
ガードナー いや、夏休みをとってきたんだ。サマー・バケーション。
石原 来年はどうするのですか? 『現役』は今年で引退ですか?。
ガードナー とんでもない。来年もまた来たいね。

 いやはや、来年もやる気まんまんだ。本人にとってはそりゃ、充実したサマー・バケーションだろうが、監督やチームメイトは一体どういう心境なのだろうか。

 肝心の試合の方はというと、4回が終わり、5回に入ろうとしていた。

<次週へ続く>
        

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
http://kozo.weblogs.jp/kozo/2007/05/post_4ba1.html

2008-01-23

イスラエル野球紀行 第14回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では昨年9月10日に発売された07年10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
 ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 現在はそれをもとにして、当ブログにて週1回のペースで連載しております。今回は14回目。滞在も最終日となり、いよいよ終わりが見えてきました。
 我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

イスラエル野球紀行の過去の記事はこちら
           

■ラストゲーム(8月14日 ベトシェメシュ・ブルーソックス対テルアビブ・ライトニング戦[テルアビブ・スポーテック])~その2

       
試合開始

 いよいよ試合が始まった。
 なぜか、先攻のブルーソックスの選手は、ラナーナのヘルメットをかぶっている。大方間違えたのだろう。まったくもっていい加減だ。守りについたときには、セカンドのクレイマーは、イスラエル人ルーキーのレイクマンの背番号2をつけて守っていた。後で聞くとやっぱり両方うっかり間違えたり忘れたりしたものだった。まったく、これでは草野球と同じではないか。いや、僕がやっている草野球は大会なんかになると、ユニフォームの着方から、サングラスや今はやりの色靴下の禁止などいろいろうるさい。ユニフォームの下は皆思い思いのTシャツを着ているこのリーグの方がよほどおおらかだ。
 先頭バッターは先週登場したシーンだ。
 初球をたたいてセンターに鋭い打球を打ったが、あいにくセンターの守備範囲だった。初回のブルーソックスの攻撃は3番のホームラン王・ジェイソン・リーズの内野安打があったものの、無得点に終わった。ブルーソックスも個人記録がかかっている、スターティングメンバーを見る限りは本気モードだ。
 ただし、それは攻撃陣だけで、先発投手を見るとこの試合がブルーソックスにとって捨て試合であることがすぐにわかった。

      

先発ピッチャーは46歳

Gardnerこの日ブルーソックスの先発は今年46歳となるガードナーだった

 マウンドに立ったのはアラン・ガードナー、46歳(本人はまだ誕生日ではないので45だと胸をはるが)、大リーグのフリオ・フランコに次ぐ高齢の現役プロ野球選手だ。ただし、こちらはいかにも中年のおじさんっぽく、少し丸まったその背中は年齢以上に年を感じさせる。
 後ろの観客に「このピッチャー、46歳だよ」と教えてあげると、目を丸くしていた。
 彼を最初に見たのは、宿舎でリョージュの部屋がわからなくなり彼の部屋に飛び込んでしまったときのことだ。リョージュから監督・コーチ陣はホテル住まいだと聞いていたので、あとでコーチもいるじゃないかというと、あれは選手だといわれたので驚いた。
 また別のとき、選手に混じって素振りをしていると、僕の草野球仕込みのスイングを見た選手が、僕に「ここでできるじゃないか」と僕にIBL入りを勧めてきた。僕が「もう年を取りすぎているよ」というと、その選手は「大丈夫、やつなんか46だぜ」とガードナーの年を教えてくれたので、僕はあらためて驚いた。
 その彼の投げる球だが、はっきり言って草野球だ。ことごとくキャッキャー前でおじぎしている。草野球で対戦するなら40代半ばのわりにはいい球投げるなという感じもするだろうが、ここは曲がりなりにもプロである。こんなんで大丈夫なのか? と思って成績をみたら、なんと、これまで1イニングを投げて無難に抑えていた。しかも、元々外野手登録の彼は打席にも15回立ってヒットも3本打っている。打たれたピッチャーはさぞショックだったろう。まあ、フェリシアーノのような140キロ代後半のストレートを見せられたあとにこのピッチャーじゃあ、タイミングも取りにくいだろうと思って見ていたら。荒れ球が功を奏してか、初回は無難に抑えた。ただしフォアボールの後、簡単に盗塁を許してしまう様は草野球そのものだった。
 初回は何とか抑えたものの、ガードナーは2回にあっさりくずれた。それも遅い球をつるべ打ちされるならまだしも、先頭から3連続でフォアボール。それもワンバンあり、高めのクソボールありと、これでは僕の入っている草野球チームでも点が取れる。
 おまけに、このオヤジさんはホームベースを避けるようにミットにおさまる自分の球を棚に上げて、判定の度に審判に不満の表情を見せている。「Why?」と言っても、ネット裏から見ても、彼の沈むボールはことごとくストライクゾーンをよけてミットに収まっていた。

       

プロフェッショナルな草野球・IBL

 熱くなる彼をなだめるため、ホルツ兼任コーチがマウンドへ駆け寄る。
 チームメイトもさぞかししらけているだろうと思って観ていると、主砲の一塁手、ロペスがマウンドに行ってガードナーを励ました。その直後、ノーアウト満塁で難しいハーフバウンドのゴロがファーストに転がった。ロペスは勢いよく前に出てミットにボールを収めて体勢を崩しながらもホームに送球。ゲッツーとはいかなかったが、これぞプロというゴロさばきだ。
 ここで、リュージュの言葉を思い出した。
「このリーグのいいところは、うまいやつがヘタな奴をカバーしながら、チーム全体でプレーするところですよ」
 そのときは、それじゃまるで草野球や高校野球と同じじゃないかと思って聞いていたが、どんな状況でもチームの弱点を主力が補って勝利を目指す。それもまたプロフェッショナルなのだ。そういう意味ではこのキューバ系アメリカンのロペスは真のプロといっていい。
 “プロフェッショナルな草野球”それがIBLなのだ。
 ロペスはゴロを処理すると、再びガードナーのもとへ。一体どんな会話をしているのだろう。しかし、そんなロペスの努力もむなしく、次打者ストライクを2つ立て続けにとって持ち直したかに見えたガードナーのスローボールは、その直後高めに大きくはずれ、ワンバンし、ラストバッターのラングロードの打ち気を誘うことなく押し出しとなった。
 まだ投げるのかと思ってベンチを見たが、交代の様子はない。ブルーソックスにしてみれば、今日のゲームなどどうでもよく、できるだけプレーオフに投げるような主力投手は使いたくない。そんな首脳陣の思惑を知ってか知らずか、ガードナーはマウンド上で荒れ狂っている。
 テルアビブの打順は1番・ハスティングスに戻る。彼の一塁線を抜こうかという当たりをロペスがなんとかさばいたが、ホームは間に合わず、これで2点目。それでも何とかツーアウトにこぎつけた。
 しかし一塁が空いたと思ったらまたもやフォアボール、この回5つめだ。草野球だってこんなピッチャーなかなかいない。
 このピンチを今度はキャッチャーが救った。アメリカで3Aの経験もある3番フランコの打順のとき、ファーストへ矢のような牽制球を投げて一塁走者を見事に刺した。これでスリーアウトチェンジとなった。

                      

<次週へ続く>
        

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
http://kozo.weblogs.jp/kozo/2007/05/post_4ba1.html

2008-01-18

イスラエル野球紀行 第13回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では昨年9月10日に発売された07年10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
 ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 現在はそれをもとにして、当ブログにて週1回のペースで連載しております。今回は13回目。我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

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■ラストゲーム(8月14日 ベトシェメシュ・ブルーソックス対テルアビブ・ライトニング戦[テルアビブ・スポーテック])~その1

       
試合前の情景

 今日の試合は僕にとってのイスラエル最後のゲーム。リーグにとってもレギュラーシーズンの最後から2番目のゲームだ。大方の順位は決まっているので、いわゆる消化試合というやつだ。
 今日も球場はスポーテック。僕は昨日と同じように大学駅からてくてく歩いた。大学駅からヤルコン川に沿って緑豊かな公園が続いているので苦にはあまりならない。しかし駅から30分、バス停だってかなり遠い。なんと交通の便が悪いことだろうと思うが、ほとんどのファンは車で来るのだろうからあまり関係はない。
 前にも書いたように、こことゲゼルでは試合前の練習がある。僕が着いた時には、ブルーソックスがバッティング練習をしていた。コーチの投げるヘロヘロのスローボールをバッターが打ち返す。距離のあるトスバッティングといった感じだ。それでも打ち損じているやつがいる。
 フィールドに入って、目の前にあったグローブを拝借して外野で球拾いをすることにした。選手ももう慣れたもので、僕を見つけると手を挙げてくるほどになった。

     

中国でやりたいというシーン

 センターあたりにつっ立っていると、ブルーソックスの外野手、シーンが声をかけてきた。彼は中国人の母を持つアメリカ人で、今年初めてプロの世界に飛び込んだ。握手しながら、今日の試合は順位が決まったので一番悪いピッチャーが投げるんだ、と言って顔をしかめた。
 どこのチームも、昨日あたりからプレーオフを見据えて戦力を温存し始めている。プレーオフは一発勝負のトーナメント。特に上位チームは何が何でも負けるわけにはいかない。特に投手については気を使っているようだ。
 首位でレギュラーシーズンを終わるブルーソックスはエース、フェリシアーノを昨日の試合で中継ぎ登板させ、実戦感覚がなくならないよう配慮。プレーオフに備えている。今日を最後にイスラエルを発つ僕は残念ながら見られないが、明日のタイガースのゲームでリョージュが先発するのも、彼には悪いが、プレーオフに備えたピッチャーの温存が理由だろう。
 彼は聞いてきた。
「来年は中国リーグでやりたいんだけど。どうかな?」
 僕は実際に中国リーグをこの目で見たことはないが、アジアシリーズやWBCの予選で代表チームのプレーは見たことがある。3Aでプレーした選手から草野球並みの選手のいるこのリーグと比較するのは難しいが、アベレージではその実力はトントンといったところだろう。実際、アメリカのプロで経験のある選手は、「このリーグは大体1Aクラスだ」といっていたので、オールスターにも出場した彼なら中国でも活躍できる可能性はある。
 僕は彼に、「レベル的にはこことあまり変わらないだろう」ということと、「広島カープのアカデミーからドミニカ人の選手が派遣されたことがあるから、外国人もプレーできるだろう」ということを伝えた。ちなみにそのドミニカ人選手はエスターリン・フランコと言って、広東のチームに在籍。2冠王になって2005年に日本にやってきたが、2軍暮らしが続いて1年でクビになった。
 中国のプロリーグのシーズンは4月から6月。そのことも伝えると、彼はそれならそのあとイスラエルでもプレーできると、笑顔を見せた。リーグの英語サイトの存在も教えてあげると、さらに喜んで、また試合後に詳しいことを教えてくれと、ベンチへと去っていった。
 彼はその出自からか、東洋の野球に興味があるらしく、イチロー選手のバッティングをビデオにとって勉強しているらしい。試合後にはイチローのいたブルーウェーブのキャップが欲しいと、日本で何とかならないのかと僕にせがんできた。
 彼はブルーウェーブというチームがなくなって、バファローズに変わっていることまで知っているほどの日本通で、結局ネットオークションでそれを探すことを約束させられた。
 アメリカ人選手の多くは、ほかに仕事をもって、このリーグの期間だけ休みをとって参加しているというパターンが多い中、彼はとにかく「プロ野球選手」になりたいがために、大学卒業後、このリーグに飛び込んだという大の野球好き。リーグ終了後の仕事もまだ決まっていないらしい。もっとも、大学卒業後の進路は卒業してから探すということは欧米では珍しいことではないので、彼も別に悲観した様子はない。今では独立リーグも冬季リーグをやっているので、彼なら何とか野球を続けていけるだろう。

        
 そんな調子で練習時間は過ぎていき、いよいよ試合開始に向けて準備が整っていった。

        

<次週へ続く>
        

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

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2008-01-09

イスラエル野球紀行 第12回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では昨年9月10日に発売された07年10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
 ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 現在はそれをもとにして、当ブログにて週1回のペースで連載しております。今回は12回目。我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

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■最後の夜(8月13日ネタニア・タイガース対テルアビブ・ライトニング(スポーテック))~その4

       
監督の挨拶

 宴もたけなわになった頃、バラン監督が一同に呼びかけた。

 「おーい、みんな集まってくれ」

 そこいら中に散らばっていたいた選手たちが監督の前に集合、芝生の上に座り込んだ。

 「この2ヵ月、みんなありがとう」

 まずは、感謝の言葉から監督は切り出した。この野球の普及していない国に、突如として立ち上がったプロリーグの監督に就任した彼の気苦労は、きっと言葉では言い表せられないだろう。コロコロ変わるスケジュールに、世界の様々な国から集まる選手。ロクにチーム練習もないまま突入した前途多難なシーズンであった。
 こんな手探り状態の2ヶ月は、決して短くはなかったはずである。それでも彼がこの大役を引き受けたのは、生地アメリカのナショナルゲームを「祖国」に伝えたいという情熱があったからに違いない。ユダヤとアラブの流血の惨事が続くパレスチナで警官をしているよりも、よほどやりがいがある仕事ではなかったか。

 そんな監督の口から出る言葉を、選手たちは皆神妙な顔で聞いている。あるものは北米から「異文化体験」をしに、あるものはラテンアメリカから生活の糧を得るため、またあるものは日本から「プロ野球選手」という夢を叶えにこの地に集った。
 そしてそんな世界中から集まった異邦人を迎えたイスラエル人選手たち。彼らは母国のプロリーグにせっかく参加したのに、彼ら「外国人」選手の圧倒的な実力の前に活躍の場を与えられなかった。それでもこの日のバーベキューではホスト役に徹し、この「聖地」にやってきてくれた野球の伝道師たちをもてなしていた。確かに彼らは、この2ヶ月でプロフェッショナルとは何かということを、垣間見、多くのことを学んだに違いない。
 生まれや育ちも違う彼らだが、共通していることがただ一つある。それは、野球が好きで好きでたまらないということだ。
 そして、この複雑な集団をまとめ上げ、全ての選手にチャンスと経験の場を与えた目の前の指揮官に皆が敬意を示している。
 リョージュはこう言っていた。

「このリーグのいいところは、うまいやつが下手なやつをカバーしてやっていくところですよ」

 はじめ僕は、このセリフを聞いて、《それじゃ草野球と同じじゃねえか》なんて思っていた。しかし、この野球不毛の地にベースボールを伝えるためにIBLが出来たんだと考えると、北米やラテンアメリカのプロ選手が試合の大枠を作りつつ、どう見てもアマチュアレベルでしかないイスラエル選手に出場の機会を与えるということは、おかしなことではなかった。
 エラーだって、走塁ミスだって野球の一部だし、そういうハプニングでの得点にこそ野球の醍醐味が隠されているのかも知れない。今や世界最高峰の一つとなった日本のプロ野球を見慣れた僕達は、このよちよち歩きのプロ野球から実は大切なことを教わることが出来るのではないだろうか。

        
ラストゲームに向け

 監督は、自分の話がひと通り終わると、コーチのイボットソンを促した。
 まだ24歳ながら、そのメタボリック気味の体格と禿げ上がった頭はコーチの貫禄十分。年上の選手も平気で怒鳴り散らす「鬼コーチ」ではあるが、そんな顔とは別に自腹を切って選手に差し入れをする思いやりも持ち合わせている人物である。今日のバーベキューも、車で選手を迎えに来たのにもかかわらずダラダラと食堂でいつまでも話し込んでいる選手をいやなひとつ顔せず、辛抱強く待っていた。
 彼が厳しいのは野球のプレーに対する姿勢についてだけで、その他の面については本当によき「兄貴」分であった。

「みんなのおかげでいいときを過ごせたよ」

 彼もまた、この夏の貴重な体験に対して選手たちに礼を言った。故国オーストラリアでスポーツコーチングの会社を経営しているイボットソンにとって、イスラエルでのこの夏の経験は、今後の仕事によき実りを与えるに違いない。普段の威勢のいい声とは違い、少し涙ぐんでいるのか、彼らしくない小さな声だった。

Barbecueバーベキューの様子。リラックスムードの中、監督やコーチ、キャプテンの挨拶が始まった

 次に、示されたのはキャプテンのダンだった。
 単にタイガースのキャプテンというだけでなく、このリーグの選手たちみんなのよき兄貴分だった彼は、「祖国」のプロリーグの立ち上げにいち早く参上した。各チームのユダヤ系アメリカ人選手とは、全米ユダヤチームやイスラエル代表チームで旧知の仲だったので、彼の早々の契約が他の選手たちを促したといってもいいだろう。
 野球を世界に伝えるべく、選手兼コーチとしてスイスにまで赴いたという彼は、真の「ジャーニーマン」だ。「ジャーニーマン」とはメジャー、マイナー問わず様々なチームを解雇やトレード、降格にもめげず渡り歩く野球選手のことを言うが、彼の移動距離はアメリカのマイナーリーガーの非ではない。
 彼だけでなく、北米やラテンアメリカのプロ経験者は北米だけでなく、ヨーロッパの様々な国でプレーし、野球を「伝道」してきた。バビロン捕囚後、各地に四散したユダヤ人のことを「ディアスポラ(離散民)」というが、彼らは野球界のディアスポラなのだ。そして、ディアスポラ達が20世紀になってこの「約束の地」に集まり、イスラエルという国を作ったように、彼ら野球界のディアスポラ達も、今この地「エレツ・イスラエル」に集っている。
 ダンはバラン監督やイボットソンコーチと同じく、自分の「祖国」のリーグに集まってくれた選手達に礼を言い、そして、横にいる奥さんにも感謝の言葉を口にした。
 冬はニューヨークでジムのインストラクター、夏は外国で野球選手という、ダンのある意味わがままなライフスタイルを受け入れてくれるこの奥さんの協力なしに、ダンの野球人生は成立しないだろう。奥さんはまだ生まれて間もない赤ん坊を連れて、大西洋を越えてこのイスラエルにやってきたのだ。

 最後に彼は言った。

「来年はがんばるよ」

 一同がどっと湧く。

「今年、だろ? まだ、シーズンは残っているよ」

 彼の今シーズンの成績は.238、ホームラン2本。4番としてはさびしいものだった。各チームのプロ経験者が軒並み好成績を挙げているのに比べると、実にさびしい。
 しかし、実際のところ、キャプテンとして首脳陣と選手との間を取り持ち、チームをまとめることで精一杯だったのだろう。そのことをわかっているみんなは、良きキャプテンに心からの拍手を送った。
 バラン監督はひととおり話が終わると、おそらくこの話の内容はさっぱりわからないだろうサントスにも話を向けた。

「ティグレス、カンピオネス(タイガース、チャンピオン)」

 英語のできない彼のチームメイトへの感謝の気持ちと、残るシーズンの健闘を誓う精一杯の一言に、一同は手をたたいて歓喜の声を挙げた。
 そう、まだシーズンは残っている。変則的なプレーオフの是非はともかく、彼らにはまだ優勝という可能性が残っていた。

 監督のバランに今一度聞いた。

「来年もこのチームの監督をやるんですか?」

彼は言った。

「チャンスがあればな」

そして、こう付け加えた。

「最終戦はリョージュを使う。先発だ」

                      

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2007-12-24

イスラエル野球紀行 第11回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では9月10日に発売された10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
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■最後の夜(8月13日ネタニア・タイガース対テルアビブ・ライトニング(スポーテック))~その3

会場のビーチへ

  Tシャツと短パンの集金の後、いよいよ出発することになった。僕とリョージュは、バラン監督の車に乗ることになった。
 彼は元々アメリカで弁護士をしていたという。IBLの発起人の1人が同じく弁護士という関係で、このリーグには法曹関係者が多い。その後、「故国」イスラエルに移住し、去年までパレスチナで警官をしていたという。
 そんな話を聞いて、僕は先日訪ねたパレスチナ自治区、ベツレヘムやヘブロンの風景を思い出した。この人もあの分離壁の周りで銃を片手に、アラブ人たちににらみを効かせていたのだろうか。

 バーベキュー会場は、テルアビブ郊外のビーチだった。
 夜だというのに海水浴を楽しむ人々でいっぱいである。すでに何人かの選手は到着していて、芝生の上にビニールシートを敷き、メンバーの到着を待っていた。何人かの選手はイスラエル人選手の実家によって準備をしたり、くつろいだりしていたらしい。我々の出発を携帯電話で聞いてから出発したので、待ちぼうけということはなかったようだ。
 さらに、当初は参加しないと言っていたラティーノたちも、彼らが車で迎えに行っていたそうで、結局は参加することになった。ともかくもメンバー全員集合となったのでよかった。ダンは奥さんと生まれたての子供も連れてきている。
           

国内選手と外国人選手

 ラファエルとサントス、「イカリヤ」・ゲレーロのラティーノ三人衆が到着すると、早速乾杯となった。つまみはイスラエル風のパン、ピタとナスのペースト、タヒーナそれにオリーブ。アラブ料理でも見かけるおなじみのメニューだ。現在では対立している両民族だが、こういう食べものひとつとっても、もともとはたいした違いなどないことがよくわかる。
 肝心のバーベキューは、イスラエル人選手たちが火をおこして準備してくれていた。彼らは試合後、肉や野菜を串に刺して用意してくれていたのだ。僕も手伝おうかと思って申し出たが、「それは不要だ。楽しんでくれ。」と取り合わない。
 リュージュの話だと、彼らの中には、チームの多数を占める外国人選手を迎えるホスト役のような意識があるらしい。普段はその外国人選手のために試合には出られない彼らだが、外国人選手なしにはここでの「プロ野球」などとても成立しないし、彼らにとっては、マイナーリーガーであってもプロ経験のある選手は、ある種の憧れの存在なのだろう。国際政治的事情から、孤立しがちなこの国の国民にとって、自国の野球リーグのためにはるばるやってきてくれた選手たちは、感謝し、歓待すべき存在なのかもしれない。
 大敗になりかけた試合を追いついての引き分けということもあってか、選手たちは皆上機嫌でパーティーを楽しんでいる。あともう少しでシーズンが終わるということもあるだろう。
 たった2ヶ月だが、プロというには余りにもお粗末な環境にプライバシーのない合宿生活ということもあって、イスラエルでの始めてのシーズンは選手たちにとって決して短かいものではなかったはずである。
              

チョースケ・イカリヤ?

 ところで、こういう場でも出身地別のすみわけができていた。
 ラティーノ3人衆はビーチと芝生を隔てる防波堤あたりで缶ビール片手に話している。ビニールシートには、米加豪の「グリンゴ」たちが陣取り、イスラエル人たちはかいがいしく、肉を焼いている。
 そして、リョージュはその間をうろうろ。彼の話だといつもこんな感じで、英語のあまり得意でない彼は、どのメンバーとも当たり障りのない付き合いをしているが、実のところ結構孤独でもあるという。フラリとやってきた僕にあれこれ便宜を図ってくれたり、このパーティーに招待してくれたのも、そのへんの事情があるのかもしれない。
 といっても、お互いのグループは仲が悪いというわけではなく、気遣いのあるラファエルが肉の焼け具合を見に行ったり、白人のコミターがラティーノのもとに行って話したり、お互いがシーズンの健闘をたたえ合っていた。
 僕たち日本人2人組みもあっちこっちへ行っては、いろんな選手と話をした。ゲレーロに、「お前は日本の有名なアクター、イカリヤに似ている。」と言って、「イカリヤ」を連発すると、この肩が痛いとシーズンの半分ぐらいをサボった能天気者は、喜んで自分を指差して「イカリヤ」と言って大笑いしていた。レッドソックスから契約金をふんだくった彼は、ドミニカに3軒も家があるという。

「ドミニカに来ることがあれば、連絡しろ。いつでも泊めてやる」

 と、気のいい事を言ってくれた彼は、結局連絡先は教えてくれなかった。3軒ある家も、本当のところは兄の大リーガー、ウラジミールが建てたものかもしれない。

              

<次週へ続く>
        

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

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2007-12-18

イスラエル野球紀行 第10回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では9月10日に発売された10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
 ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 今後、当ブログにて週1回のペースで連載していきます。今回はその10回目です。我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

イスラエル野球紀行の過去の記事はこちら
           

■最後の夜(8月13日ネタニア・タイガース対テルアビブ・ライトニング(スポーテック))~その2

あっけない最終戦

 エースのプリブルを引き継いだ4回から3イニング目となる6回に入ると、2番手投手のクラブはつるべ打ちにあい始めた。
 このリーグではよく見られることだが、経験の浅い投手は一旦打ち込まれ始めると、相手打線の勢いを止めることが全く出来ない。おまけに平凡なレフトフライが傾いた西日と重なって外野手が前に突っ込めずヒットになってしまうなど記録に表われないミスも出た。テルアビブはたまらず抑えのエトキンを投入するが、安打を許しついに6点差を追いつかれてしまう。
 こうなるとタイガースのサヨナラのチャンスなのだが、そこはIBLである。そう思い通りにはならないオチがちゃんとついていた。
 2アウト一、二塁の絶好のチャンスに代打が送られた最高の場面で、なんと二塁ランナーが牽制タッチアウト。まるでコントの幕引きのように、審判のコールと共に陽が沈んで球場は闇に包まれた。
 IBLの規則では、原則引き分けはなく、最後はホームランダービーで決着をつけるのだが、この状態ではそれも出来ず、試合はこのまま終わってしまった。通常はこういう場合はサスペンデッドになるのだが、このカードはこの日が最終戦。結局この試合はIBL史上最初の引き分け試合ということになった。
         

求められたサイン

Childrenイスラエルリーグの応援に来ていた子供たち

 試合後、しばらく選手は外野の芝の切れ目近くでミーティング。イスラエルでは、試合後は必ず、選手、監督、コーチが集まってその試合の「反省会」をすることになっている。 10分もかからないうちに、それも終わるといよいよ撤収ということになるが、出待ちのファンへのサイン会というものが待っていた。と言っても、観客自体が80人足らずだから、サインする数もたかがしれている。
 この後の動きを知りたくて、ベンチに入った僕も、タイガースの帽子をかぶっているせいか、チームの一員と勘違いされて、サインを求められてしまった。ベンチ裏で、草野球の兄ちゃんと同じように短パン、Tシャツ姿に着替えてしまっている選手もいるので、同じような格好をしている僕も選手と間違われたようだ。身長170センチに足らない僕をプロ野球選手と間違えるのもどうかと思うが、実際IBLには僕とさほど体格の変わらない選手も多い。IBL唯一の日本人選手・リョージュも、どちらかというと細身のため、僕と並ぶとどちらが選手かわからないほどである。
 求められたサインについては、断るのもなんなんで、子供が差し出すボールに適当に名前を書いておいた。
 子供は大喜びで親の元に走り去ってゆく。いいことをしたのか悪いことをしたのか微妙なところだが、あの子はこのチームの選手の名など、もともと知らないのだから、喜んでくれてるだけいい事をしたんだと思うことにした。
 選手たちは一旦、ケファールへ帰るという。シャワーを浴びて、着替えてからバーベキュー会場のビーチへ向かう段取りらしい。日はとっぷりと暮れ、敵方のテルアビブの選手とともにバスに乗り込み、宿舎についた頃には夜8時をゆうにまわっていた。
         

長い待ち時間

 着替えたらすぐに移動だと、リョージュにせかされ、僕もシャワーを浴びて集合場所に急いだのたが、ビーチに行くという車の周りには、まだ人が数人しかいなかった。監督のバランとコーチのイボットソンが自分の愛車で迎えに来てくれていたのだが、大方の選手たちはのんびり食堂で飯を食っている。これから肉を食うのに、えらい食欲である。
 それにしても時間にルーズな連中だ。リョージュが気を使って走り回っているが、そんなことはお構いなしである。白人の選手は食堂でしゃべっているし、ラティーノ達は部屋で休んでいる。どうも彼らはバーベキューには来ないらしい。前回の開催時に会費を踏み倒しているので参加しにくいのではないのかということだった。
 気のいい彼らは別にケチというわけではなく、ビールを買ってきては、よくリョージュにもおごってくれるのだそうだが、家族を故郷に残しての「出稼ぎ」の身、何かと出費は抑えたいようだ。ただし、「イカリヤ」ゲレーロだけはレッドソックスから契約金をたんまりもらっているので、経済的には悠々自適の生活をおくれるようだが…。
 チームの連中は一事が万事この調子で、普段の試合へ向かうバスも遅れるやつが必ずいる。そのため、集合時間はそれを見越してどんどん早くなってゆき、それでも遅れるやつは遅れるので、几帳面なヤツほど待ちぼうけの時間が長くなるというスポーツチームにあるまじき悪循環が続く。今日もそれを見越して選手たちはのんびり構えているのだ。しまいには待っていた選手もひとりふたりとどこかへ行ってしまう始末。しかし、監督のバラン、コーチのイボットソン、キャプテンのダンとともに顔色一つ変えず待っていた。
           

集金の正体

 連中を呼びに行っていたリョージュが帰ってきた。リョージュにうながされたのか、おしゃべりに飽きたのか、選手たちもひとりふたりと集まってくる。
 さあ出発かと思うと、こんどはキャプテンのダンが選手ひとりひとりから集金を始めた。今夜の会費かと思ってリョージュに聞くと、そうではなく、チームでそろえたTシャツと短パンの受け渡しをしているのだという。チームから開幕時にユニフォーム一式とシャツは支給されたのだが、あまりの暑さに試合前練習時に着用する短パンを作ることにしたらしい。もともと予算のないIBLにそんな余分なものを追加支給する余裕などあるはずはなく、結局選手の中で希望者を募ってタイガースオリジナルのシャツと短パンを作ることになったのだ。ほとんど大学のサークルのノリである。おまけに、出来上がりにひと月以上かかり、結局注文者ダンの手元に届いたのが、シーズンもあと2試合という今日だったのだ。それではまるで無意味じゃないかと思うが、多くの者は記念品感覚で注文していた。帰国後、このシャツとパンツは彼らの「プロ野球経験」の思い出の品になることだろう。
 このTシャツ、短パンはリョージュも注文していた。値段を聞けば上下合わせて日本円でいうと6000円ほど。月給12万円の身には結構な出費だろうが、彼も記念の品に嬉々としている。このあたりに部屋こもって出てこないラティーノたちとの大きな違いを感じた。家族の生活を背負って海を越えてきたコロンビア人のラファエルなんかには、こんな余分な出費をする余裕はないだろう。

<次週へ続く>
        

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
http://kozo.weblogs.jp/kozo/2007/05/post_4ba1.html

2007-12-11

イスラエル野球紀行 第9回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では9月10日に発売された10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
 ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 今後、当ブログにて週1回のペースで連載していきます。今回はその9回目です。我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

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■最後の夜(8月13日ネタニア・タイガース対テルアビブ・ライトニング(スポーテック))~その1

バーベキュー

 この日は、試合後にバーベキューパーティーがある。まだこの日を含めてレギュラーシーズンは3試合残しているのだが、タイガースは一堂の慰労を兼ねてビーチでバーベキューパーティーをやるのだそうだ。後で聞くと、この夜は他のチームも同じように慰労会をやったらしい。
 2ヶ月という短いシーズンだが、男所帯での寮暮らし。それも文化的背景も違う様々なところから選手が集まってくるということで、リーグでは選手相互の交流を深めるため、さまざまな企画を催してきた。これまでもエルサレムやソロモン王の遺跡を巡るツアーというか遠足を組んだりしている。リュージュの話だと、大男達がランチボックス片手にぞろぞろと歩くさまは、こっけいでほほえましくもあったらしい。
 このバーベキューに僕も招待された。

テルアビブ・スポーテック

 試合は、テルアビブのスポーテック(sportek)で行われた。
 この球場はIBLの開幕に合わせて、市街の北にあるハヤルコン・パークという広大な公園の一角のスポーツ施設内に造られた。川の岸辺に広がる一面の芝生の原っぱにサッカー場や陸上競技場が並ぶ一番奥、海側にある草野球場がそれだ。
 もちろん観客席などはなく、外野フェンスもラバーなどは貼っていない。タダ見防止の為なのか、青いシートだけが張り巡らされている。内野フィールドのフェンスをさらに囲む形でフェンスがあり、この中に入るためにはチケットが必要となっていた。
 ネット裏に50席ほどプラスチックの椅子が置いてあり、観客はここに座って観戦するか、ベース際のフェンス近くで立ち見、あるいは一塁側のフェンスと外郭のフェンスの間の原っぱでボール遊びするかして野球を楽しむ。
 「開幕に合わせて…」と書いたが、実のところこの球場の完成は開幕には間に合わず、数試合がキャンセルになった。そのせいで、シーズン終盤にダブルヘッダーが組まれることになり、各チームのホームグランドもなし崩しになってしまった。おまけに、その試合中止の告知がちゃんとされず、せっかく球場に来たのに試合がなかった…などということもあったそうだ。

誰も知らぬ球場の場所

Tel_avivテルアビブのスポーテック。スタンドというより草野球グランドというイメージだ

 僕は近くの大学駅から歩いて球場へ向かった。だが、いかんせん誰も球場の場所を知らない。サッカーやラグビーのグランドが近くにあるところだと言うと、何人かが首をかしげながら方向だけを示してくれた。芝の続く運動公園へ入ると、一番奥にそれらしいものがあり、かすかに場内アナウンスが聞こえてきた。
 試合はすでに1回裏のタイガースの攻撃に入っていた。ネット裏を中心に並べられた椅子には100人足らずの観客が座っている。それにしても、平日の午後4時開始の試合に足を運ぶこの人たちは一体何をしているのだろう。
 後でわかったことだが、イスラエルでは夏場は早く仕事を切り上げる職場が多いそうだ。それでもすべてのオフィスが午後2時に終わってしまうようなことはないはずだ。現実に僕は夕方や夜にも買い物をしているのだから、多くの人が遅くまで働いていることは間違いない。
 安息日にあたる休日はゲ

ームをせず、まだ仕事が終わるような時間でもない午後4時のゲーム開始など、興行面でのIBLのマネージメントにはまだまだ課題が多い。結局この日の観客は78人だった。この数字はこの球場では決して珍しいものではないそうだ。

 試合が動いたのは3回表、テルアビブが一挙5点を入れた。もちろん例のごとくエラーがらみである。この試合でもタイガースは3失策もしでかしている。
 しかも、記録上は失策とならない失策もある。打った瞬間、凡フライに見える打球が簡単にポテンヒットになってしまっていた。外野手の打球判断とスタートが悪いのだ。勢いに乗ったテルアビブは3回以後も、4回、5回に1点ずつ追加した。
 これに対して元気のないタイガースは4回裏に1点を返すのがやっとの状態。エラーや残塁の続出するダラダラした試合はやたらと時間だけを食い、5回表の攻撃が終わって「Take me out to ball game.」が流れる頃にはもう辺りは暗くなっていた。ちなみにこの球場には照明はない。

予期せぬ投手交代

 4回表を終わって6対0でテルアビブのリード。普通なら楽勝ペースだ。おまけにテルアビブのピッチャーはエース、アーロン・プリブル。彼があと、4回抑えれば試合は事もなく終わっていたことだろう。いや、日没のことを考えると、あと2回も投げれば十分だったはずだ。
 しかし、なぜかテルアビブは、このエースピッチャを代えてしまう。3回を投げて2安打6奪三振。このレギュラーシーズンの最終登板で彼の防御率は1.94となっている。監督の頭の中は、数日後に始まるプレーオフに向いているようだった。下位チーム相手の楽勝試合にエースの続投はもったいない。
 しかし、2番手のクラブは代わった直後に1点を取られてしまう。野球というスポーツは、ちょっとしたことから試合の流れが大きく変わるものだが、この日の試合はまさにこの投手交代から、急速に流れがタイガースに向かい出していた。

<次週へ続く>

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
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2007-12-04

イスラエル野球紀行 第8回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では9月10日に発売された10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
 ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
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■フィールド・オブ・ドリームスの世界(8月12日テルアビブ・ライトニング対モディーン・ミラクル(ゲゼルフィールド))~その4

試合開始

 ノックが終わると、いよいよ試合である。
 両チームのメンバー表を開始5分前くらいに交換すると、すぐに場内アナウンスでスタメンの発表。この球場では、始球式もあって、ユニフォーム姿の小さな子供が力いっぱいキャッチャーにボールを投げていた。
 お約束の国家斉唱は、球場アナウンサーのアカペラ。ここでは球場アナウンサーは歌も上手でなければならない。
「プレイボール!」
 順位の決まった後の消化試合からか、雰囲気はどことなくのんびりしている。この球場は村はずれの高台の土手の上にあるため、その土手に面した三塁側に客席はない。
 客席はネット裏から一塁ベース側に3列ほど並べられているのと、その後方に2つ、木でできた5段ほどの小さなスタンドがしつらえているだけだ。そして、土手に面した三塁側には両軍のベンチが仲良く並んでいる。

Gameゲゼルフィールドの観客席。後方に5段ある木製のスタンドが見える

 初回、いきなりモディーン打線がテルアビブの先発、イスラエル人ピッチャーのローゼンに襲いかかる。彼は外国籍の選手が席巻する今年のイスラエル・リーグの中、イスラエル人選手としてコーチ兼任ながら、ローテーションを守り、シーズン終了後には最優秀イスラエル選手として表彰されている。
 先頭のウォーカーがショートへの内野安打で出塁すると、ファーボールとボテボテのサードゴロで、たちまちのうちにモディーンは1アウト二・三塁という先制のチャンスを迎えた。
 ここでバッターはエラディオ・ロドリゲス。ブルーソックスのリーズ、レイムンドと三冠王争いを繰り広げているスラッガーだ。ドミニカの広島アカデミーから3Aまで上り詰めた彼は、あの野茂英雄ともバッテリーを組んだこともある。先日のヤルコンでのナイターでは、センターフェンスの向こうの木に当たったかのように見えた「疑惑のホームラン」を打って、ホームラントップに並んでいる。
 テルアビブのベンチはこの強打者との勝負は避け、次のモコ・モナロアとの勝負を選んだ。
   

期待のルーキー

 モコはオーストラリアからやってきた高卒のルーキーだ。まだ、あどけなさの残るこの少年は、宿舎では英語を話す白人達の輪の中に混じっている。いつも無口でその輪のすみっちょにいるのは、年齢のせいと、彼がカラード(有色人種)であることも関係しているのだろう。
 浅黒い彼の容貌は、一見ラティーノ(ラテンアメリカ人)に見える。しかし、英語圏の国から来た彼にとって、ドミニカン達はまったくの異邦人に過ぎず、いつも英語圏のアメリカ、カナダ、オーストラリア人の集まりに入ってゆくのだが、大卒以上の者が多い彼らの中に溶け込んでいるわけでもなさそうだ。名前から察するに、彼はおそらく太平洋ポリネシア出身だと思うが、マイノリティという出自が、このルーキーを無口にしているのではないかとも思う。夜、賭けトランプ(こういうときはラティーノも混じってくる)に興じる大人に付き合いきれないときは、同年代のイスラエル人、ブルーソックスのレイクマン達と共同のテレビ部屋で映画を見ている。
 そんなモコだが、フィールドではまるで別人のように存在感がある。この打席でもきっちりレフトに犠牲フライを打って貴重な先制点をたたき出した。第2打席もレフト前にタイムリーヒットを放ち、勝利打点を挙げている。1人故郷を離れた寂しさを野球にぶつけているようだった。
 ちなみに、モコのシーズン終了後の成績は打率.314でホームラン4本。将来が楽しみだ。
    

Fishテルアビブ・ライトニングの4番打者、ネイト・フィッシュ

モディーンがリード

 結局モディーンはこのチャンスに1点しか挙げられず、2回裏に元広島のペレス・ブリトーが選んだフォアボールを足がかりにテルアビブの反撃を許してしまう。しかし、次の3回表の攻撃で1アウトからの2、3番が連続ヒットの後、エラディオがまたもや歩かされ、さっき書いたようにモコがタイムリー。下位打線も続いてこの回3点を挙げた。
 その裏のテルアビブの攻撃は、2死から4番ネイト・フィッシュがライト前にうまく運んで出塁。彼はアメリカから来たユダヤ人で、ショート、サードのほかキャッチャーまでこなすマルチプレーヤーだ。全米ユダヤ人代表チームにも選出されており、普段はニューヨークでDJの会社を経営しているらしい。なるほど、長髪をなびかせるイケメンぶりは、野球選手にしておくにはもったいないような気もする。
 ここで1点くらい返しておきたかったが、続くブリトーはあっさり凡退。淡白な攻撃に、監督の怒りは球審に向けられた。微妙な判定にベンチからヤジが飛ぶと、球審もそれに応じて、ベンチに向かってヤジに答える。草野球のような風景だが、観客席はそのやりとりにどっと湧いた。

照明による原初的な風景のうちにゲームが終了

 その後、両チーム1点ずつを加えて、試合は6回に入る。本場でおなじみの「Take me out to the ball game」は、5回表終了後に歌い終えていた。
 このころになると、もう随分日も暮れてきて、フィールド全体が暗くなってくる。だが、まだ照明はつかなかった。
 そんな中で、イニング間に大リーグ速報が放送されると、ここはアメリカではないか? という錯覚を覚えてしまう。6回裏になってようやくともった決して明るくはない照明は、さらにフィールドを幻想的に浮き出させ、フェンスの向こうのとうもろこし畑の向こうから本当にシューレス・ジョーが出てくるのではないかと想像をかきたててしまう。
 まさにフィールド・オブ・ドリームスの世界。この原初的な風景を1度知ってしまったら、たとえ野球を知らないイスラエルのファンであっても、ついついまたここに足を運んでしまうだろう。

Gezel回が進むにつれ、暗くなっていくフィールド。照明がつくと、原初的な風景がさらに強まっていく

 そんな情景の中、テルアビブの攻撃で8番ラングボードの大きな飛球がセンターに上がった。モディーンのセンター、ガルが懸命にそのフライを追う。右中間フェンス前の坂を駆け上って、そのボールを手を伸ばしてつかみとると、ガルはその坂に倒れこんだ。一瞬の静けさの後、彼がボールの収まったグラブを高々と持ち上げると、この日一番の歓声が場内から上がった。
 試合の方は、このままモディーンが逃げ切り、テルアビブを降した。
 試合後、これから向かうテルアビブの方角を見下ろすと、とうもろこし畑の向こうのスカイスクレイパーに夕日が半分沈んでいた。

<次週へ続く>

      

■石原豊一(いしはら・とよかず)
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2007-11-23

イスラエル野球紀行 第7回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では9月10日に発売された10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
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■フィールド・オブ・ドリームスの世界(8月12日テルアビブ・ライトニング対モディーン・ミラクル(ゲゼルフィールド))~その3

イスラエルプロ野球のフランチャイズ

 テルアビブのバッティングが終わると、モディーンの練習時間になった。今日の試合は、ここを本拠とするモディーンではなく、テルアビブのホームゲームとなっている。シーズン当初の球場不足からスケジュールは大幅に変更され、フランチャイズの位置付けはなし崩しになっていた。
 もっとも、全チームの選手がケファールに暮らしている現状では、各チームは都市名を名乗っているだけ。とても地元チームなどとは言えない。そもそもフライチャイズ6都市のうち、球場のあるのはテルアビブとペタックティクバの2つだけだ。
 それでもIBLは将来の本格的なフランチャイズ制目指して、ネタニアに新球場建設を計画しているし、各フランチャイズ都市のショッピングモールでのプロモーション開催、市長訪問などで「地元密着」をアピールしている。
   

不足する道具

 「Wow.」
 選手の間から大きな声があがった。そして、打席の選手が舌打ちをしながら戻ってくる。さっきからやたらとバットが折れているのだ。
 IBLの選手のほとんどはバットを持っていない。イスラエルにやってきたときは持参してきたのだろうが、練習や試合で使っているうちに「マイ・バット」は大方折れてしまっている。リーグ開始時に1人1本支給されたらしいのだが、野手陣は主に数本あるチーム・バットを使っていたらしい。それも2カ月もすると、どんどん折れてなくなってきたので、リーグの方でない袖を振って新しいものを購入。今日それが到着したのだそうだ。
 ところがその「おニュー」が次から次へと折れてゆく。
 「バキッ」という音がフィールドに響くたび、選手の落胆の声がこだまし、見れば彼らは天を仰いでいた。
 「中国製じゃないか?」冗談で僕が言ってみると、「アメリカ製だろ?」と選手がバットを調べ始めた。「やっぱり、メイド・イン・チャイナだ!」冗談が当たってしまったので、笑ってしまった。
 中国の名誉のために言っておくが、選手の話だと、材質はカナダのメープルで品は悪くないらしい。しかし、練習ですでに4本折れている。選手の技能のせいもあるだろうが、スローボールを打ち返しているだけのフリー打撃でそんなに折れてしまっては、粗悪品と言われても仕方がない。
 この後、試合でも2本折れた。まあ、この乾燥したイスラエルの気候もおそらくは関係しているのだろうが、この調子じゃ、リーグはシーズン終了までに、また新しいのを買わなければならないだろう。苦しい財政事情から安い中国製を選んだのかもしれないが、これじゃ安物買いの銭失いだ。
 また、不足してイルのはバットだけではない。リーグはすでにIBLの刻印の入った公式ボールもすでに使い果たしてしまっていた。
 シーズン途中に急遽試合用ボールを追加したのだが、こちらにはIBLのマークは入っていない。リョージュの話だと、懐具合の寒くなってきたリーグ当局は、気前よくファンに試合球をプレゼントする選手たちに、今後はボールをむやみやたらとあげないようお達しを告げたらしいが、見たところその効果はまったくあがっていない。先週の試合で僕も、モディーンのドローリから頼みもしないのに新品の公式球を手渡されたし、僕が見た最後の試合でも、コーチが観戦に来た知り合いにボールを渡していた。ファールボールはことごとくファンのものになるし、これでは確かにリーグの財布も痛むだろう。
   

ノッカー代行!?

Ibl_groundゲゼルフィールドの練習風景。球場施設、日程、道具、指導者など課題が山積みの中、選手達はシーズンを消化していく

 バッティング練習の横では、シャムスキー監督がノックをしていた。IBLの各チームは監督のほか、コーチが2名ずつついている。スタッフはそれだけだ。
 コーチのほとんどは選手兼任だし、ペタックは監督が途中帰国してしまったために、テルアビブのコーチが新監督に急遽就任したほどである。試合前のバッティング練習では、ピッチャーは選手が交代で行い、ノックは監督がすることになっていた。ノックに至っては、返球を受けるキャッチャーもいないありさまだった。
 シャムスキー監督御年66才のゆるいゴロが一・二塁間に転がってゆく。手で転がした方が、マシではないかと思うぐらいの勢いのなさだ。へたをすれば、内野の芝生の上で止まってしまいそうだ。これで本当に練習になるのだろうか。
 というわけで、ベンチにおいてあったグローブを拝借して、キャッチャーをかってでることにした。ところが、陽がだいぶ傾いたとは言え、炎天下のノックはこの老人の体にはこたえたようだ。僕が手伝い始めてまもなく、彼はノックをやめてしまった。突然ベンチへ帰ってしまった監督を尻目に、次は自分の番だと三遊間で待ち構えていた選手たちが、天を仰ぐ。
 というわけで、僕がノックをする羽目になった。これでも中学教員として野球部の顧問もしたことがある。自分で言うのもなんだが、シャムスキー監督よりはいいゴロが転がった。
 観客席から見るとプレーのまずさが目立った選手たちだったが、実際にノックを打ってみると、プレーヤーの目線になるのか、随分とうまく見える。どんなゴロでも確実にさばく様子はさすがプロと感心してしまった。まあ、よく考えれば僕がプロに選手にノックを打つなんて、ここ以外ではあり得ないこと。日本で普段プレーしている草野球チームの仲間達とはレベルが違うのも当然だ。
 「グッジョブ。」20分ほどは打っただろうか。選手たちは「監督よりよっぽどよかったよ。」とリップサービス交じりに労をねぎらってくれた。
 ベンチ前に、折れたバットがあったが、これはどうするのか聞くと、ひびがいったくらいなら、テーピングをして使うらしい。真っ二つに折れたやつは、観客へのプレゼントになる。
 「やっぱり日本製がいいよ」と、僕が言うと、「いいやスポルディングだ」と、アメリカ人の選手からから返ってきた。
 試合直前のベンチに笑いが起こった。

<次週へ続く>

      

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

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2007-11-12

イスラエル野球紀行 第6回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では好評発売中の10月号にて、既に現地へ赴いた石原豊一氏による「ワールドベースボールレポート」でどこよりも先駆けて紹介しました。ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
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■フィールド・オブ・ドリームスの世界(8月12日テルアビブ・ライトニング対モディーン・ミラクル(ゲゼルフィールド))~その1

フィールド・オブ・ドーリームスの世界

 球場は村はずれの土手の上にあった。外野フェンスの向こうはもう一面の畑だ。野球映画の名作、「フィールド・オブ・ドーリームス」の世界が広がる。このベースボールの原初的な風景のおかげで、この1番辺鄙(へんぴ)な場所にある球場が1番の人気を集めている。
 ここをホームするモディーンとブルーソックスがタレントぞろいの強豪ということもあるが、他の球場で話したファンの多くが「ところで、ゲゼルにはいったのか?」と僕に聞いてくるところから察するに、このイスラエル初の野球場は、この国の野球ファンの自慢のようだ。
 そのせいで、ここでの試合には、他の球場の倍以上の観客が毎試合集まる。この日もイスラエルでは「大入り」といってよい309人の観客が集まっていた。レギュラーシーズン最終戦のチケットはすでに団体の予約などが入って売り切れてしまっている。
 もっとも、900人ほどの収容人数しかないのであるが…。
 

不整形なフィールド

 フィールドでは両軍の選手たちが、バッティング練習をしていた。へんな話だが、この国一番の施設を誇るヤルコンにはバッティングゲージがない。だから、この球場の試合前には、選手たちは打ち込みなどできず、かと言って、宿舎の周辺にもバッティング練習の場所などないので、彼らはここゲゼルとテルアビブのスポーテックでしか思いっきり打つことはできないのだ。
 しかも、日本のように専門のバッティングピッチャーなどいるはずもなく、選手やコーチがスローボールを投げてくれるだけである。試合にいつも出ているレギュラークラスはともかく、これでは控えの選手はシーズンを通して「生きた球」を打つ機会はほとんどないことになる。IBLの目標のひとつに、「イスラエル人選手の育成」が挙げられているが、この現状では、その多くが控えに甘んじている地元選手の技術の向上は難しいだろう。
 それにしても、球場全体がずいぶんと狭く感じる。フェンスにあるホームからの距離を示す数字を見ると、レフトまでが316フィート(96.1メートル)、センターまでが380フィート(115.5メートル)。ライト側が一番狭く、ポールまで280フィート(85.1メートル)しかない。左中間、右中間のふくらみは全くなく、両翼から中堅までは低いフェンスがまっすぐ伸びている。
 内野のフィールドも随分と小さく感じる。イスラエルの野球場は、アメリカのものと同じように全面天然芝が植えられている。各塁間だけ芝が刈り取られ、土がむき出しになっているのだが、この部分がいやに広いのだ。一、三塁のベースは、両サイドのラインの1番後、芝生の切れ目近くにベースがあり、おまけにショート、セカンドは芝生の上で守っていた。
 

原点回帰したアメリカ、牧歌的で原初的なイスラエル

Feeldゲゼルのフィールドを外野方向から臨む。外野の芝生が切れている部分は、少年野球用グランド時のフェンスの名残だ

 この球場は1978年にできたイスラエル最古の球場だというが、実のところは少年野球、ソフトボール用のものであることは、後でブルーソックスのイスラエル人ルーキー、レイクマンが教えてくれた。彼はこのキブツ・ゲセル生まれで、ジュニア時代は国の代表投手にまでなっていた。
 それがプロ発足の際、急遽マウンド後へずらし、外野のフェンスも後ろへ下げて、とりあえず大人サイズにしたようだ。ライトが狭いのは、畑があったのでどうにもならなかったのだろう。外野にはその苦心の跡がいくつか残っていて、フィールドの深い部分は、かつてのフェンス沿いのアンツーカ部分がそのまま残っている。両翼から半円を描くように芝生が切り取られているのだ。
 そして、標準サイズにフェンスをずらすことのできたレフト側も、新しいフェンスの手前2メートルくらいから緩やかな坂になっていた。これではまともに守れないかと思うのだが、「アメリカ人」にはかえってこういうのがうける。
 かつての野球草創期には外野に坂がある球場は珍しくもなく、こういう不整形なフィールドの中での偶発的なプレーが試合を決めるカギになったりして、それも野球というスポーツの魅力のひとつであったようだ。その後、野球の国際化が進むにしたがって、フィールドの広さにも「国際規格」ができ、スタジアムはシンメトリックなものとなった。
 ところが、1990年代に入って、アメリカでは野球のルネサンスとでも言うべき現象が起こり、MLBの「ボールパーク」はレンガ造りの外観をもつ「ネオ・クラシック」調のものにかわった。しかも、それら新しい球場のフィールドはほとんどが不整形で、今年(2007年)サンフランシスコで行なわれたオールスター戦では、イチロー選手の放ったセンターフェンス直撃のあたりが、右中間のフェンスに突き出ている部分に当たって大きくはね、ランニングホームランになったことは記憶に新しい。
 また、外野の坂ということでいうと、2000年に開場したヒューストンのミニッツメイドパーク(開場時はエンロンフィールド)のセンター後方には、最初のプロ野球チームができたシンシナティの昔の球場の故事にちなんで、センター中央フェンス前に「タルの丘」という坂がしつらえている。
 かつてのアメリカの球場が不整形だったり、坂があるのは、当時の街区や敷地の事情によるものだったが、ようやく野球草創期を迎えたここイスラエルでは、いまだにかつての牧歌的で原初的なフィールドの姿が確かにあった。
 

<次週へ続く>

      

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
http://kozo.weblogs.jp/kozo/2007/05/post_4ba1.html

2007-11-06

イスラエル野球紀行 第5回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では好評発売中の10月号にて、既に現地へ赴いた石原豊一氏による「ワールドベースボールレポート」でどこよりも先駆けて紹介しました。ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 今後、当ブログにて週1回のペースで連載していきます。今回はその5回目です。我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

イスラエル野球紀行の過去の記事は→こちら

        

■フィールド・オブ・ドリームスの世界(8月12日テルアビブ・ライトニング対モディーン・ミラクル(ゲゼルフィールド))~その1
 

キブツ・ゲゼルへ向かう

 エルサレムからバスに乗ること約1時間。キブツ・ゲゼルは山を下って、平野部の入口に位置する。自家用車だと25分で着くらしいが、寄り道をする路線バスだとこのくらいはかかる。
 IBL唯一の日本人プレーヤーこと、通称リョージュ(木原領樹)は

「畑の真ん中にあって、周りには何もないですよ。みんなどうやって来てるんだろう?」

と宿舎から一番遠いこの球場のアクセスについて心配してくれて、

「よかったら選手のバスに一緒に乗っていったらどうですか?」

とまで言ってくれたが、この日の午前中は死海に行きたかったので、自力で行くことにした。
 幸いヤルコンでIBLスタッフのアンドリューに尋ねると、鉄道とバスの時刻を検索してくれたので、公共の交通機関でいけることがわかった。エルサレムとラムラという町の鉄道駅を結ぶバスがここを通過するらしい。
 岩山を下ったバスが平野部に入ると、周囲の風景は牧歌的な農村のそれに変わる。今はシーズンではないのか、土がむき出しになっているが、このあたりのなだらかな丘は一面ワイン用のぶどう畑らしい。
 

キブツの由来

 運転手にうながされ、バスを降りた。
 テルアビブ方面への道から枝分かれした道があり、それを上って行けと指で示された。丘の上までその一本道は伸びている。バスを目で見送ると、そのはるか先には海岸地帯の工場の煙突があった。
 一人の初老の女性が丘の方向へ歩いていくのが見えたので、追いついてキブツ・ゲゼルはこの道であっているのか聞いた。「イエス」と答えた彼女はキブツの住人だった。

「キブツ」とは世界各地から「帰って」きたユダヤ人たちが共同生活する村である。工場のキブツもあるらしいが、多くは共同で農場を運営しているという。ゲゼルもそんな農村キブツのひとつで、アメリカからの移民が作ったものだという。ここにイスラエル最初の野球場が作られたのも大きな関係があるようだ。
 この周辺はイスラエルでも最も大きいアメリカ人コミュニティが存在する地域らしい(ヤルコンでの観客インタビューにて入手した情報だ)。彼女はこのキブツの最初の入居者だという。場所は坂道を登りきった丘の上あたりのようだ。彼女の指差す方向にポツリポツリと建物が見える。その左側に大きな建物があるのでそれを指差すと、それは村はずれの工場だという。村ではオリーブを栽培し、その油を自分たちで搾って売っているようなのだ。それにしてもかなりの距離がある。
 村の向こうにはさらに高い丘があって、その頂上には古代ヘブライ王国の伝説の王、ソロモンの宮殿の跡があるらしい。日本に帰国後、ここの球場の風景の写真を引き伸ばしたが、なるほどフィールドの後方の丘の頂上に石柱らしいものが立っているのがわかった。
 

イスラエル人の気質

 時折通る車に彼女は手を上げるが、誰も止まってくれない。こういうバスの便の悪い片田舎では大体車を持っている人間は徒歩で行く人を助けるというのが、世界の常識だ。実際、僕もエジプト・シナイ半島ではしばしばヒッチハイクのお世話になった。

「誰も止まってくれないね」

という僕の言葉に、彼女は返した。

「みんな恐れているのよ」

 確かにここイスラエルでは、都市部を出ると延々と砂漠が広がるという条件にもかかわらず、ヒッチハイクの成功率は著しく悪い。
 今朝、死海の温泉に行こうと朝一番のバスに乗ったときのこと。6キロ手前のビーチで降ろされ、ヒッチハイクを試みたが、頻繁に通る車は全く停まってくれなかった。結局、途方にくれた僕を乗せてくれたのは、そのスパリゾートを経営するキブツの車だった。
 彼女の話だと、当局もテロ防止のため、見知らぬ者を車に載せることを禁じているらしい。イスラエルの人々がどことなくよそよそしい理由がわかったような気がした。
 彼らは「祖国」の奪還と引き換えに聖書にも言われている「隣人愛」をなくしてしまったかのかもしれない。

 そういえば、テルアビブで人に道を尋ねてもまともに応対してくれる人は少なかった。
 この国のユダヤ人の住む都市部の風景は欧米となんら変わることはない。でも、実際に歩いてみると、バスターミナルでは割り込みが横行しているし、列車に乗ればトイレに行っている隙に自分の席が荷物ごと移動されていることもあった。仕方なく僕はその隣に座ったのだが、こういうことをして気まずくはないのかと思って、元々の僕の席に座っていた若い女をみたら、平気の平左で、携帯電話を片手に大声で話している。
 長距離バスに乗れば乗ったで、若者たちが貸切バスに乗ったかのように傍若無人に振舞っている。全ての人がそうだとは思わないが、彼らを見ていると、「自分さえ良ければいい」という気質が如実に表れている。

 初めての試合からの帰り、一緒になったペタックティクバ在住のイスラエル人青年が自国の国民性を嘆いていたことを思い出した。
 ペタックティクバの中心から5キロほども離れた球場からの帰り、テルアビブまで行きたいという僕にいろいろ世話を焼いてくれた気のいい彼は、エルサレム生まれの生粋のイスラエル人。だが、自国の人々は好きになれないという。
 村の入口には門があり、IBLの看板が扉に据え付けてあった。門の両側からは有刺鉄線つきのフェンスが延びている。「祖国」目指してコロニーを作った彼らは、常に「敵」に襲われるかもしれないという緊張感の中、生活しているのだ。

 門を通るとき、1台のバスが僕たちを追い抜いた。中には、今日ここで試合をするテルアビブとモディーンの連中が乗っていた。

「選手たちだよ」

と僕が言うと、

「みたいね」

と彼女はさほど関心なさそうに返してきた。この村に住みながら、まだ1回しかゲームを見ていないという。
 

ゲゼルフィールドへ

 バスは門からまっすぐに伸びる道を進んで行ったが、右へ曲がる分岐路を行っても結局は同じ所に出るというので、彼女と一緒に村の中を通ることにした。平屋建ての大きな家が広い芝生の庭に囲まれて並んでいる様は、アメリカの郊外の住宅地と変わらない。
 各家の敷地にはフェンスはない。いったん自分のコミュニティに入れば、彼らはその分気を許すのだろう。野球場の観客たちが、非常にフレンドリーなのも同じ理由なのでないだろうか。行きの苦労とは正反対に、試合後の球場で頼むと簡単に近くの大通りまで乗せてくれた。

「小さい家ばかりでしょ」

と言う彼女に、

「日本じゃ大豪邸だよ」

と返すと、冗談言わないでというポーズをして笑っていた。
 彼女は日本の「ウサギ小屋」どころか、旧市街のパレスチナ人の小さな路地に建つ住居も知らないのだろう。彼女が知っているのは「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」だけなのだ。

 彼女と別れ、バスの走っていた道に戻った。自家用車が走ってきたので手を挙げると、今度は簡単に停まってくれた。中にいたのはユニフォーム姿のモディーン監督、アート・シャムスキーだった。

「20シュケル(600円)」

Hombo_fieldようやくたどり着いたゲゼルの野球場「Hombo Field」の看板。その奥に簡易式のスタンドが見える

 300メートル先の球場までにはずいぶん高いタクシー代だ。彼とはすでに一昨日の試合で会っている。僕たちは笑いながら握手をした。
 運転手はテルアビブの監督、スティーブ・ハーツだ。これから戦う両チームの監督が一緒の車で来るなんて、ずいぶんのんきな話だが、選手だって一緒の宿舎で寝泊りし、同じバスで移動しているくらいだ。ここでは当然のことなのだろう。監督、コーチ陣は選手用の寮ではなく、テルアビブのビーチ近くの高級ホテル住まいだというから、共同でレンタカーを借りて移動に使っているようだ。
 シャムスキーはその昔は、ユダヤ系メジャーリーガーとして名を馳せたらしい。前年の最下位からワールドチャンピオンに登り詰めた1969年の「ミラクル・メッツ」のメンバーの1人だったようだ。
 そのせいか、モディーンのユニフォームは薄い青地にオレンジ色をあしらっている。シャムスキーにそのことを聞くと自分にはわからないし、今はメッツのユニフォームの色合いも変わっているだろう、と要領の得ない返事が返ってきたが、彼のユニフォーム姿はあの「ミラクル・メッツ」をほうふつとさせる。
 そもそも、彼の率いるモディーンのニックネーム自体が「ミラクル」だ。リーグ当局が彼ら元メジャー監督を目玉にしていることは、彼らのユニフォームだけに背番号の上のネームが入っていることからもうかがえる。元ヤンキースの「MLB最初の指名打者」ロン・ブロンバーグ率いる縦じまのブルーソックスとの試合は、さながら「中東のサブウェイシリーズ」とでも言えるだろう。

 ようやく、目的地のゲゼルフィールドが見えてきた。

<次週へ続く>

      

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
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2007-10-29

イスラエル野球紀行 第4回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では好評発売中の10月号にて、既に現地へ赴いた石原豊一氏による「ワールドベースボールレポート」でどこよりも先駆けて紹介しました。ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 今後、当ブログにて週1回のペースで連載していきます。今回はその3回目です。我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

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■パイオニアズの悲哀(8月8日:ヤルコンフィールド第2試合)~その2~

リリーフはライトフィルダー

 選手交代が告げられると、2番手のピッチャーはなんとライトのポジションから走ってきた。この最下位を走るチーム、ペタックは選手不足が深刻なようで、この試合も3人の「投手」が打席に立った。投手と野手の役割がいまだ未分化なのだ。言ってみれば、草野球などで、ピッチャーをやるやつは守らしても打たしてもうまいのと同じようなものだ。
 この2番手ピッチャー、チチャットはアメリカ生まれのイスラエル人。一応投手登録だが、13イニング3分の1を投げて防御率12.83。勝敗もつかず、先発も経験していないので、いつもリリーフに出ては火に油を注いでいたのだろう。ならばと野手で出てはみたものの、この試合まで3打数ノーヒット。こんな選手を使わねばならないのだからチームの状態は深刻だ。
 ちなみに開幕当初このチームを任されたのは、リーグの目玉である3人の元メジャーリーガー監督のひとり、ユダヤ人投手としてMLB最多の174勝をあげたケン・ホルツマンだったが、チームの惨状に耐え切れなくなり、帰国してしまったという。一部うわさにはコミッショナーと喧嘩して帰ったらしいが、この戦力では文句のひとつも言いたくなるだろう。何しろこの試合までのチーム打率は.223、防御率は7.37。チームホームラン14本はトップを走る首位ブルーソックスのジェイソン・リーズの15本にも及ばなかった。
 案の定、チチャットは1アウトもとれず降板した。先頭打者をショートゴロに打ち取ったもののショートが一塁に悪送球。その時点で、彼にはふんばる余力が残っていなかったようだ。
 その次の投手をブルペンから連れてくる余裕は、最下位チーム・ペタックにはもうなかった。どんなに負け続けても、チームは明日もダブルヘッダーをこなさねばならない。続く3番手はショートストップのゴールドマン、これまで2試合に投げて20.25の防御率を残している。こうなると、ほとんど草野球の世界だった。
 3番手のゴールドマンは、アメリカから大学卒業と同時にプロの門をたたいたという22歳。2番手ピッチャー、チチャットを継いだあと、5回は何とか乗り切ったものの、6回には勢いづいたタイガース打線の餌食となる。6安打1死球の彼をベンチは助ける術なく、タイガースは打者一巡。もはや、攻撃に飽きるまでマウンドに野ざらしという状態だ。
 10人目の打者が打った鋭いライナーがファーストミットに収まったとき、もはや彼の余力は残っていなかった。さすがにベンチもこの若者をあわれんだのか、最終回の守りには控え捕手のブリルをマウンドに送ることとなった。

長かった初日の観戦が終了

 この荒れた試合を多少なりともプロフェッショナルなものにしたのは、タイガースの2番手ラファエル・ロハーノだった。コロンビア生まれの41歳のベテランは、今までプロの世界を渡り歩いてきたキャリアを生かして、乱打戦の後半3回を締まったものにした。
 ロハーノは6回に失点したが、これは、先頭打者の1番ビンダーがボテボテのセカンドゴロ内野安打で出塁した後、二塁へ盗塁。2番ピッチャーのゴールドマンがセカンドゴロを打つ間にランナーが三進。6点リードしていたタイガースは前進守備を敷かなかったため、次のダシェフスキーのセカンドゴロで失点となったものだった。そもそも最初の内野安打もプロならば当然アウトにしなければならない打球だったし、盗塁を許したのもこの試合のキャッチャーが本業はコーチのイボッセンであっためだ。
 彼はシーズン当初はコーチ専業だったが、選手不足はどこも事情は似たり寄ったりで、どうしてもというときだけ試合に出ている程度で、これまで7試合しか出場していない。
 イニング前のボール回しの時点から彼の二塁送球は山なりで、ネット裏から見ていても、「どこからこんなオッサン連れてきたんだ。」という感じだった。そのハゲ上がったおつむでは、あの送球も仕方ないなと思わせる一方、コーチとしての貫禄十分だった。だが、実は彼はまだ24歳なのだ。それでいてあえてコーチとして海を渡ってきたという。

 7回裏。ペタック最後の攻撃に対し、ロハーノはヒットを許しながらも3人で片付けゲームセット。1アウトから出てきたピンチヒッターが見事にセンター前にはじき返したものの、オーバーランしすぎてセンターからの送球に刺されてしまった。このピンチヒッターは投手登録のドミニカン、モレーノ。ドミニカンの実力はこのリーグでは突出していて、投手であってもしばしば代打に起用される。

 こうして僕のイスラエルリーグ初日の長い長い日が終わった。時計の針は10時半を指していた。

<次週へ続く>

      

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
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2007-10-22

イスラエル野球紀行 第3回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では好評発売中の10月号にて、既に現地へ赴いた石原豊一氏による「ワールドベースボールレポート」でどこよりも先駆けて紹介しました。ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
 今後、当ブログにて週1回のペースで連載していきます。今回はその3回目です。我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

第1回 8月8日 ペタックティクバ・パイオニアズ対ネタニア・タイガース(ヤルコン) は→こちら
第2回 8月8日:ペタックティクバ・パイオニアズ対ネタニア・タイガース(ヤルコン) ~その2~ は→こちら

  

■パイオニアズの悲哀(8月8日:ヤルコンフィールド第2試合)~その1~

ようやく観客が集まり始めるもその数は72人

 第1試合にずいぶんと長くかかったせいで、第2試合が始まった頃にはもう日もすっかり暮れていた。
 IBLの試合は、リョージュいわく「飽きっぽい」観客に合わせて7イニング制である。将来的には9イニング制になるのだろうが、現在のところこの7イニングが観客にとっても選手にとってもベストなのだろう。かつて存在したオーストラリアのプロ野球(選手の多くは働きながらプレーし、試合は週末だけなのでセミプロというべきだろうが)でも、まずはファンの観る目を育てるため、7イニング制を採用していた。
 確かに野球というルールの理解しにくいスポーツを9イニングも見ていて、いったん飽きられたらファンは離れてゆくだろう。その上、このIBLのレベルを観ていると、9イニング制で行ったら一体いつ試合が終わるのやら、という気もする。

Goods_shop球場のワキに設営されたグッズショップ。IBLのTシャツやチームのキャップやレプリカユニホームなどが並ぶ

 試合開始当初、ほぼ無人だった観客席にもようやく人が集まってきた。大体100人くらいか。試合後のリーグの発表では72人だった。
 日本では驚くような数字だが、ここでは珍しいことではないそうだ。第1試合から観ていた熱心なファンのおじさんの話では、この球場が一番の施設なのだが、テルアビブやペタックティクバ周辺はいわゆる大都市圏で、住民の文化的背景、つまり出身国が多彩なため、アメリカンスポーツ、野球の人気がいまいちらしい。
 もう少し山手のゲゼル周辺には大きなアメリカ系コミュニティがあるらしく、そこの球場は結構入りがいいという。
 などと話していたおじさんは、第2試合が始まると、スタッフ席に座ってスターティングラインナップを読み上げていた。ボランティアでやっているらしいのだが、これがなかなか堂に入っている。彼の頭には出身地のチーム、ニューヨーク・メッツの帽子が乗っかっている。きっと彼の頭の中では、シェイスタジアムのアナウンサーを務めているつもりなのだろう。
 第2試合は、ホームとビジターが入れ替わって、タイガースの先攻で始まった。
 

随所に好プレーも見られたが

 第1試合では、そのエラーの多さにあきれたが、選手のポテンシャルは決して低くはない。初回タイガースの2番・フォーサイスが放った三塁線のバウンドの高いゴロをショートバウンドでさばいたペタックのビンダーの守備などは、観るものをうならせた。但しそれが続かないし、また選手個々の実力差がありすぎる。なかなかいいじゃないかと思う選手がいる一方、いかにもアマチュアという選手もいて、その選手が目も当てられないようなエラーをしでかす、という具合だ。
 第2試合も結局4つのエラーが出た。
 初回は両軍とも無得点だったが、先ほどの好プレーがあり、その裏のペタックの攻撃では、その好プレーを魅せた先頭のビンダーがバットをへし折りながらもセンター前へはじき返したり(但しその後あっさり牽制死してしまったが)、3番・ダシェフスキーのセンター前へ抜けようかという当たりをセカンド、ロドリゲスが見事にさばいてジャンピングスローで刺したりと、随所にプロらしいプレーが見られた。こういうプレーには観客は惜しみない拍手をおくる。
 試合が動いたのは2回裏、先頭打者、4番のクロティンがデッド・ボールで出塁、続く5番バンファスの当たりがセカンド手前でイレギュラーして内野安打。この間に一塁ランナーは三塁まで進んだ。このチャンスにペタック(パイオニアズは通常こう呼ばれている)はさらにヒットを2本連ね、2点を先制した。

Stand5段ある木製のスタンド。この日は上段まで埋まるほどの人はいなかった
 その後は、両軍点の取り合いになった。3回表にタイガース・フォーサイス、4回裏にはペタック・クロティンに、そして5回にはタイガースの4番でIBLの看板選手ダン・ルーテンバーグにホームランが出た。5回を終わって8対8、派手な打ち合いに観客は大喜びだ。
 イスラエルというある意味特殊な国でのプロリーグ発足ということで、選手集めにはかなりの苦労があったらしく、ことに投手はどのチームも不足しているようだ。
 今までプロとして毎日ゲームをするという経験がない選手たちにとって、たった2カ月とはいえ、シーズンも終盤になるとかなり疲労がたまっている。ペタックの先発のエプスタインは、球が遅い上、回を重ねるとその球がシュート回転で甘いコースに集まってくる。4回くらいから危なかったが、5回のルーテンバーグのホームラン後、デッドボールを与え、二塁打を許すとお役ご免となった。

<次週へ続く>

      

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

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2007-10-15

イスラエル野球紀行 第2回

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 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では好評発売中の10月号にて、既に現地へ赴いた石原豊一氏による「ワールドベースボールレポート」でどこよりも先駆けて紹介しました。
 ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。今後、当ブログにて週1回のペースで連載していきます。今回はその2回目です(第1回の記事はこちら)。
 我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグとは、実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

■8月8日:ペタックティクバ・パイオニアズ対ネタニア・タイガース(ヤルコン) ~その2~

球場周辺の様子

 渋滞するバスに揺られながら、ようやくたどり着いたヤルコン・スポーツコンプレックス。球場の様子は、日本で言うと、公共のスポーツ施設のそれだった。
 照明塔のあるメイン球場の横、一塁側ファウルラインの裏にはもう1面ひと回り小さいサイズの野球のグランドがあり、レフトフェンスの向こうにはバスケットコートがある。レフトからホームベースの裏には建物が数件建っており、これは宿泊施設らしい。バックネット裏は芝生の庭になっており、ゴルフ場のカートに乗ったおじさんがファウルボールに備えて待機している。
 「観客席」は、センターからライトにかけてのフェンスの外と、その続き、一塁側フェンスからバックネット裏、3塁ベースの裏側までのスペース。バスケットコートのあるレフト側フェンスの向こうは宿泊施設の敷地で、ここから見るぶんにはタダだ。しかし、そこでバスケットに夢中になっている少年たちは、目の前で行われている見たこともないゲームに興味を示すそぶりなどないようだ。
 そのレフトフェンスからさらにセンター方向へ目を移すと、ちょうど左中間あたりに手動式の得点板が設置されている。センターのバックスクリーン(といってもフェンスに青いシートをかけただけなのだが) 横とバックネット裏には鉄パイプを組み立てた櫓(やぐら)が立っているが、これはたまにあるテレビ中継用のものだろう。
 これで、球場をひとまわり。フィールドの広さは両翼320フィート(約97.5メートル)、センター364フィート(110.9メートル)、右中間、左中間は345フィート(105メートル)とかなり狭いものだった。 この観客スペースに5段の鉄と木でできた幅10メートルほどの小さな桟敷席がしつらえてある。バックネット裏と一、三塁側ベンチ横に数箇所。レフトフェンス沿いに1箇所。これがすべてだった。そして、この国一番の野球施設でもある。はじめは信じられなかったが、後に他の球場を訪ねたときに、それが本当なのだと理解できた。
 それでも、この球場で行われたリーグ開幕戦には3112人、オールスターには1112人の観衆がつめかけたという。1000人を超える観客を収容できるのは今のところここだけで、チャンピオンシップもここで行われることになっている。
 こういう「大入り」に備えてリーグでは、「General Admission(自由席)」と「Premier(特別席)」40シュケルの2種類のチケットを発売しているが、普段は自由席25シュケルの木戸銭しか取っていない。「大入り」のときは大方の観客はフェンスの前で立ち見ということになるだろう。
 試合の方はというと、2回表、ペッタッティクバの攻撃がちょうど終わったところ。背番号2をつけた小さなピッチャーがマウンドから降りてきていた。

フレンドリーな雰囲気

 到着後、最初に球場内を散策してみる。といってもさっき書いたとおり散策するまでもない広さで、すぐにひと回りしてしまった。
 その間、選手たちはフレンドリーで気軽に挨拶してくる。観客も選手も同じトイレを使うので、彼らは試合中でも観客席をうろうろしていた。
 次に、一塁側最前列に机をしつらえてスコアをつけているリーグスタッフに挨拶。メールの返事がなかったのでどうかな、と思ったが、彼らは遠路はるばるやってきた日本人の僕を歓迎してくれた。特にこの球場のスコアラーであるアンドリューは、このあといろいろ便宜を図ってくれることになる。
 そのあと、ネット裏のカートに乗っているおじさんとしばし談笑。「ファウルボールを回収する係なんだ」という米系移民のおじさんは、野球を見ながらのこの仕事に満足そうだ。「ボールおくれよ」という僕に、「オーケー」の快い返事。ファウルボールが飛んで来ると、モーター音鳴らしてボールを追いかけ、球場と庭を隔てるロープに集まった子供をなだめながら僕にボールを手渡してくれた。

日本人選手・リョージュ登場!

 三塁ベンチ裏には、オレンジ色のユニフォームを着たネタニア・タイガースの選手たちがたむろしていた。
 そして、そこに金髪の東洋人らしい選手が!
 リーグに1人、日本人がいることは事前に知っていたので、声をかけてみた。いかついサングラスをかけたその選手は、その見かけとは大きく違い腰の低い態度で返してきた。

「あっ、こんにちは」

 彼が木原領樹投手。通称リョージュ。イスラエル・ベースボール・リーグ(以後IBL)初の日本人選手だ。派手な金髪とは違って、その話しぶりはいたって素朴なものだった。野球を観に日本からやってきたと言うと、少し驚いた様子だった。

「久しぶりに日本語話すんでへんな感じですよ。」

 6月末にこの国に来て以来、日本語を話したのは休日にテルアビブのビーチで出会った日本大使館の職員と交わしたくらい、と彼は続けた。その後、その人は家族を連れて、試合を見に来てくれたそうだ。日本人の観客は、彼の知る限り彼らとその後別の家族連れが1組来ただけだと言う。日本人訪問者としては僕が最初だと思っていたのだが、残念ながらIBL3番目のということになる。

「よくここがわかりましたね?」

 このテルアビブ郊外の町の、そのまた郊外の球場に1人で来たことにも驚いているようだった。
 僕が無類の野球好きで、これまで様々な国で野球を観てきたことを言うと、ずいぶん親近感をもってくれたようで、その後しばらく話をした。
 彼もまた無類の野球好きで、日本での球歴は決して華々しいものではないが、「プロ野球選手」にどうしてもなりたくて、はるばるこのイスラエルにやってきたのだという。
 「それにしても、観客少ないね」と僕が聞くと、「そうですね、今日は少し少ないですね」とのんきな調子で返してくる。聞けば普段も大体100人ほどしか入らないらしい。今日は平日のダブルヘッダー、不入りも仕方がない。
 それにしてもどうしてダブルヘッダー? ここイスラエルの降水量はきわめて少ない。それも雨の大半は冬に降る。雨天での中止は考えられない。それについて尋ねたら、いかにもできたてのプロ野球リーグらしい答えが返ってきた。
 要するに、テルアビブの球場の建設が開幕に間に合わなくて、予定どおり試合が消化できていないということらしい。そのため、開幕当初決めておいたフランチャイズ球場も、なしくずしになっており、リーグ戦も終盤に入った今ではホームビジターなど関係なく、ダブルヘッダーを入れながら試合を消化しているといった具合なのだ。なるほど、僕の手にあるチケットもラナーナ・エクスプレス対ペタッティクバ・パイオニアズと違うカードになっていた。
 ひどいのは、IBLの認知度が低い現状であるため、新聞などメディアの露出が少なく、日程が変更になったのを知らずに観客が球場まで来てしまうことがあるらしい。試合がないと聞いて、がっかりして帰る客も少なからずいたという話だ。

「そんな目にあったお客さんは2度と来ないですよね」

 リョージュもあきれながら、生まれたてのリーグに苦言を呈していた。

 試合のほうは、1点を争う好ゲーム。最終回にダントツの最下位ペタックが2点を入れて試合をひっくり返し、そのまま逃げ切った。
 それにしてもエラーの多いこと。両軍合わせてなんと7つ。高校野球でもなかなかない数字だ。
 最終回の逆転劇もエラー絡み。牽制悪送球でピッチャーが傷口を広げたことの端を発するものだ。

「これがプロ野球?」

 僕の最初のイスラエル野球の印象だった。

<次週へ続く>

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
http://kozo.weblogs.jp/kozo/2007/05/post_4ba1.html

2007-10-09

新連載! イスラエル野球紀行

 2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では好評発売中の10月号にて、既に現地へ赴いた石原豊一氏による「ワールドベースボールレポート」でどこよりも先駆けて紹介しています。
 ただし、その際はページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった当時の体験を「イスラエル野球紀行」として不定期に連載していきます。
 我々日本人には、大変遠く感じる中東・イスラエル。開幕したプロリーグは実際どのような雰囲気だったのでしょうか?

■8月8日 ペタックティクバ・パイオニアズ対ネタニア・タイガース(ヤルコン)

野球とは無縁のアラブの風景

A_map_of_israel_2

 エスサレムからテルアビブまではバスで山を下って1時間半ほど、IBLのフランチャイズ都市及び球場はこの山を下った平野部に全て位置している。
 この日訪ねるヤルコン・スポーツコンプレックスは、テルアビブの衛星都市ペタックティクバ郊外にあり、現在イスラエルで一番の球場だという。とはいっても野球など全く流行っていないこのイスラエル、ことにアラブ系の多いエルサレム旧市街では場所を確認しようと思っても、球場の場所はおろか、「ベースボール」なるスポーツの存在さえ誰も知らなかった。
 結局、宿のロビーの壁に貼ってあったドライブ地図で、ペタックティクバがテルアビブの東方に位置していること、その町のはずれに「Yarkon Junction」という高速道路のインターチェンジがあることだけを確認して、新市街にあるユダヤ人用の「エゲット・バス」のターミナルに向かった。

旧市街と新市街

 旧市街のヤッホォ門前から日本と変わらない綺麗な大型バスに乗ると、そこからはまるで世界が違った。エスサレムはいわゆる「ウェストバンク」、将来的には別の国家として独立するであろうパレスチナ自治区への入口に位置する。
 旧市街は、1967年の第3次中東戦争まで隣のアラブ王国・ヨルダンの領土であった。そのため、現在でもオスマントルコによって築かれた城壁内や、アラブ人街への入口ダマスカス門の周辺などの風景は周辺のアラブ諸国のそれと変わらない。
 そこから出るアラブ人用の「アラブバス」は古い旧式のバスやワゴン車に毛の生えたような程度のもので、アラビア語とコーラン斉唱が飛び交うターミナルはいかにも途上国の雰囲気を漂わせている。
 それが、一旦エゲット社の市内バスに乗ると、まず運賃が倍くらいに跳ね上がる。エルサレムから数十キロ離れた自治区内の町へいくのに3~5シュケルもあれば十分なのに、市内だけの移動に5.5シュケル(160円)もかかる。バスだけでなく一事が万事全てそうで、「イスラエル」国内の物価は「パレスチナ」に比べ大体倍位する。ここ10年デフレを経験した日本に比べてもまだ高い。缶コーラ1本7シュケル(200円)は決して珍しいことではない。

 バスは欧米と変わらぬ町並みをすり抜けてゆく。唯一違う点は、このクソ熱いのに黒いスーツに身をまとい、コサック帽のようなこれまた黒い帽子をかぶった人々が多いことだけである。この異装が彼らの言う「正統派」のユダヤの衣装らしい。
 ターミナルで、言われたとおり947番のバスが入ってくるのを待って、運転手にヤルコンジャンクションまで行くかどうか尋ねたら、大きく頷いたので一安心した。
 冷房の効きすぎるくらい効いたバスは、整備されたハイウェイを猛スピードで下る。30分もすればもう坂を下りきって平野に出た。国際空港であるベングリオン空港の標識が見える頃になると、そろそろペタックティクバだ。球場は高速道路とのジャンクションの近くの村の中にあるらしい。近くには線路が走っていて駅もあるというから、そのようなところで降りねばならない。

ようやく着いた球場は

 時計を見ると、試合開始の午後5時はすでに過ぎている。こういうときに限ってバスは渋滞に巻き込まれている。のろのろ運転のバスが球場への道との交差点にさしかかったとき、僕は降ろしてくれるよう頼んだが、運転手は停留所でないと降ろせないと、ドアを開けてはくれなかった。その上、交差点を過ぎてすぐのバス停でもこのバスの停留所ではないと、通過。結局、さらに800メートルほど進んだジャンクションで降ろされた。
 8月の日没は7時半くらいというイスラエルでは、午後5時の陽はまだまだ高い。照りつける太陽の下、バックパックを背にテクテク歩いてゆく。
 10分近く歩いてようやく目的の交差点へたどりついた。標識があって「Yarkon Springs」とある。さらに5分ほどいくと「YARKON SPORTS INSIDE BAPTIST VILLAGE」 の看板が立っていた。やはりここでよかったようだ。「バプティスト」とはアメリカに広く分布するキリスト教・プロテスタントの一派。どうやらここはアメリカ移民がつくった村らしい。それなら野球場もあることだろう。
 とは言え、近づくにつれ本当にプロ野球など行われているのか半信半疑になってくる。照明塔に近づけば近づくほどその疑いは強くなっていった。
 僕はこの照明塔を頼りにこの球場の場所をつきとめたのだが、普通の日本人ならこれが「プロ野球」の行われる「スタジアム」だとはとても思えないだろう。今まで僕が訪ねた北中米の球場にも、これに似たこじんまりとしたものがあったことから、経験上ここが球場だとわかったが、それでも曲がりなりにもスタンドくらいはあった。
 しかし、僕が今向かっている球場にはいくら近づいても観客席は見えない。そう、ここは「スタジアム」なんかではなく、「フィールド」にしか過ぎないのだ。
 以前にメキシコにある野球博物館で、メキシコプロ野球が始まった20世紀はじめの風景を描いたパネルを見たことがあるが、その風景は河川敷のようなグランドの周りを巡らした柵を観客が囲むという牧歌的なものだった。ここイスラエルで21世紀に始まったプロ野球の風景は100年前にタイムスリップしているようだった。
 球場入口に来てようやく野球の試合が行われていることを確信できたのは、アメリカのマイナーリーグを思わせる球場アナウンスが耳に入ってきたから。だが、観客の歓声は一切聞こえてこない。入口のテントはグッズ売り場になっていて、ここで入場券を買う。25シュケル、日本円で750円ほどだ。安いんだか高いんだか。閑散とした球場に球音だけが響いている。

 観客は僕を含めてたった11人だった…。

                                       <続く>

       

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。国内はもちろんのこと、すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。

※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
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