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『野球小僧』編集部アンケート

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  • 001 今年最も興味があるチームは?

2010-04-12

カリビアン・ウィンターリーグ紀行《プエルトリコ編》」 -番外編-

 『野球小僧』4月号に登場した「カリビアン・ウィンターリーグ紀行《プエルトリコ編》」読んでいただいたでしょうか?
 「流離いの海外野球放浪観戦者(?)」こと石原豊一さんによる海外野球紀行は、「イスラエル野球紀行」、「メキシコ・ウインターリーグ紀行」、「ニカラグア野球紀行」など、当ブログでいくつも公開され、すっかりおなじみとなっています。その流れから、昨年末に行かれたプエルトリコの野球紀行文が4月号で掲載されるに至りました。

 今回はその番外編として、誌面に掲載しきれなかったエピソードをご紹介します。

 なお、5月10日発売『野球小僧』6月号では、続編として、プエルトリコからその足で訪問したドミニカ共和国の紀行文を掲載します。題して「カリビアン・ウィンターリーグ紀行《ドミニカ編》」です。そちらの方も、ご期待ください。

 それでは、今回の番外編をどうぞ!

      

▼石原豊一さんの過去記事のリンクはコチラ
海外紀行編

 ①イスラエル野球紀行 →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat2140867/index.html
 ②メキシコ・ウインターリーグ紀行 →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat82358/index.html
 ③ニカラグア野球紀行 →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat4323204/index.html

独立リーグ編

 ⑥北信越BCリーグ観戦記(北信越BCリーグリンク内) →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat588962/index.html
 ⑦長崎セインツを救え(四国・九州アイランドリーグリンク内) →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat81718/index.html

ベースボールディアスポラ(野球離散民)を訪ねて(⑧前田勝宏編、⑨高橋建編)
 →http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat5680355/index.html

  

 

▼知られざるウィンターリーグ~プエルトリコ番外編

 プロ野球2010年シーズンも開幕した。今年も巨人のエドガー・ゴンザレスを筆頭に、ラテンアメリカからたくさんの助っ人が新たに日本球界に身を投じる。彼らの多くは、メジャーリーグのオフシーズンに行われるウィンターリーグでの活躍が認められて、日本プロ野球との契約にこぎつけている。そのことは、毎年この季節になると新聞上などで、ファンに知らされているが、実のところ、報道する側もこのリーグについての知識は乏しいようで、チーム名その他、時折誤った記述がなされていることもある。
 世界の野球を見つめ続け、『世界野球選手名鑑』というおそらく世界で唯一のワールドワイドな野球名鑑を毎年発行し続けている『野球小僧』のライターとして、この状況を捨ておいてはいけない。
 なんとか日本の野球ファンにこのタレントの宝庫を紹介したいと、この冬も筆者はカリブ海へと飛んだ。

12月23日 アレシボ
 アレシボは、北海岸中部に位置する。昨夜観戦した町、アグアディージャを朝一番、7時に出発した乗り合い自動車・プブリコは、この町を経由せず、途中で降りる羽目になった。別の車をつかまえてたどり着いたこの町は、すっかり寂れていて、セントロに唯一あるホテルは、他の町と同じく下宿屋に替わっており、旅人を受け入れてはくれなかった。
 島中から若者が米国本土に出稼ぎに出るプエルトリコにあって、地方都市の衰退は著しく、この町の中心からはすっかり若者の姿がなくなっている。

「みんな郊外かサンファンに出て行ってしまったよ。すっかり年寄りの町になってしまった」

Arecibo事務所を訪れると、アレシボ・ロボスのオーナー、クルス・ベンザン氏が出迎えてくれた

 町にあったベースボールカードショップの老店主は、品薄をわびながら、首都のショッピングセンターに行けば、この島出身の選手のカードが並んでいると教えてくれた。

 スタジアムには、かつてのドジャースで活躍した、ルイス・オルモの名がつけられている。事務所を訪ねると、オーナーのクルス・ベンザン氏が出迎えてくれた。
 この町に球団ができたのは、1961年のことだという。チーム名の「ロボス」は、狼の意味である。かつて大洋ホエールズで首位打者を獲得したフェリックス・ミヤーンが指揮をとったこともあるこの球団は、2005年に球場の賃貸料交渉が決裂してこの町を去ることになったが、2008-09年のシーズンに戻ってきた。頻繁に繰り返すフランチャイズの変更は、不入りに悩むプエルトリコ野球の現状を反映している。

 プエルトリコ初の日本人選手は、実はこのチームでプレーした。マリナーズやオリックスでプレーしたマック鈴木が1997-98年シーズンをここで過ごしている。
 彼に関する裏話をオーナーが披露してくれた。
 プエルトリコにやってきたマックは、労働ビザを持っていなかったらしい。マイナーや独立リーグでは、実のところ、こういうケースは珍しいことではないそうだが、トラブルを恐れた球団は、彼との契約書の金額欄に「1$」と書き入れ、彼のリーグ参加を事実上「労働」ではないとしたという。オーナーはウィンクして右手を机の下に回した。無論ギャラは裏で支払ったという意味だ。
  オーナーズルームにいたユニフォーム姿の男は、コーチをしていると言った。親日家らしく、なにかと話しかけてくる。選手としては大成せず、2A度止まり。4年前に現役を終えたそうだが、99年に在籍していた独立系のフロンティア・リーグに在籍していた時、テレビの企画で選手として参加していたタレントの松村邦一さんとルームメイトだったという。

 「マツムラ元気かな?」

 人懐こい笑顔を見せながら、現役時代唯一テレビに自分の映像が流れたときのことを想い出していた。

 この日の先発は、元ダイエーのヘクトール・メルカド。彼も他の多くのプエルトリカン同様、現役メジャーリーガーとして期待されて来日したものの、満足いく成績を残すことはできなかった。
 メルカドは人物的には実に親切で、私にも何かと世話を焼いてくれた。また、この夜は投球もまずまずで、序盤は鋭く縦に曲がるスライダーと、これと同じ軌道で落ちるチェンジアップでロボス打線を翻弄、先発としての役割を果たし勝利投手になっていた。 

Cruiseコーチのイバン・クルーズ。阪神、中日などでプレーした経験をもつ

 それにしても、この国のプロ野球は実にのんびりしている。試合中もカメラマンはフィールドに残ってベースコーチのすぐ後ろで撮影している。
 一塁ベースコーチは、イバン・クルーズ(元中日、阪神)。試合前からなにかとちょっかいをかけてくる陽気なプエルトリカンだ。プレー中もている。プレー中のフィールドでも審判と雑談に興じ、このカメラマンやランナー、はては敵チームの野手と無駄話をしている。
 私が15年前、メキシコで野球を見たときも、試合中のフィールドでマイク片手に実況していたラジオアナウンサーを見てたまげたものだが、いいにつけ悪いにつけ、彼らは大らかだ。
 オーナーら経営者と選手、ファンとの距離も近く、その家族的な雰囲気的は、日本や北米の独立リーグのそれに似ている。ラテンアメリカでは、クリスマスイブとクリスマス当日は完全休養日で試合がないのだが、この夜はクリスマス前最後の試合ということで、オーナーからのプレゼントとして試合後、パーティーが催された。
 客の去ったスタンド下の通路にはテーブルがしつらえられ、豚の丸焼きをメインディッシュにした料理がふるまわれた。選手はもちろん、球場スタッフから、売り子までチーム運営に関わっている者は皆招待されている。オーナーのチームに対する愛情がにじみ出たような、素朴だが、こころ温まる宴だった。

 この夜は遅くまで、メレンゲのバンド演奏が球場に響きわたっていた。

<終>

   

         

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦している。09年末にプエルトリコ、ドミニカのウィンターリーグを観戦。『野球小僧』4月号『野球小僧世界野球選手名鑑』(ともに発売中)にて、そのとき得た情報を記事にしている。次号『野球小僧』6月号では、ドミニカ共和国を訪問した際のエピソードが掲載される予定。

2009-02-06

ニカラグア野球紀行  最終回

 これまで当ブログにて「イスラエル野球紀行」「メキシコ・ウインターリーグ紀行」という2本の海外野球紀行を連載されていた石原豊一さん。(イスラエル野球紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat2140867/index.html
(メキシコ・ウインターリーグ紀行→
http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat82358/index.html
 昨年末より、海外野球紀行シリーズ第3段にあたる「ニカラグア野球紀行」の連載がスタートしました。
 野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏が、知られざるニカラグア野球の現状を臨場感たっぷりの体験記として綴ってくれています。
 ニカラグア野球マニアの方も、「ニカラグア野球なんて聞いたことない」という方も楽しめる内容になっています。
 長らくお付き合いいただいたこの連載も今回が最終回。

 最後は野球を求めて世界を旅を続ける石原さんならではのメッセージで締めくくりたいと思います。

■ニカラグアに思いをはせて
 この冬も熱い戦いを見せてくれると思ったニカラグア・リーグは、残念ながら資金難のため2008‐09年シーズンのリーグ戦の実施を見送った。選手の報酬も安いとはいえ、大した木戸銭もとっていない状態では、ちょっとでも景気が傾けば、スポンサーも撤退し行き詰まるのもわからないでもない。
 しかし、このことはニカラグア・リーグの消滅を意味するものではないし、ニカラグア野球の火が消えることを意味しているわけではない。昨年も長い伝統を誇るプエルトリコのリーグがやはり休止されている。
 現在の世界のプロ野球シーンはMLBの「一人勝ち」である。せっかくプロ野球が根付いても、トップの選手がMLBへ流出し、母国でプレーしなくなってしまう現状ではローカルなリーグは魅力をなくしてゆくばかりだ。
 だが、テレビではなく目の前で見る「プロ野球」の魅力は格別である。この夏もアマチュアのリーグはきちんと行われ、何人かのプロ選手は報酬をもらってプレーした。来年はきっと、ウィンターリーグも開催されるだろう。3月に行われるWBCを見て、ニカラグアのファンは、どうしてこんなに野球の盛んな自分たちの国が、この野球の祭典に参加できないのだろうと悔しがるに違いない。冬の祭典であるカリビアン・シリーズも同様だ。イタリアや南アフリカが出場しているのだから、この中米の野球大国が出場してしかるべきである。

 この冬、私はコロンビアを訪ねた。この国のリーグはニカラグア・リーグと兄弟リーグと言ってよく、ここ2年は互いのチャンピオンが5試合制のシリーズを行っている。ここには、昨年までニカラグアでプレーしていた選手や監督・コーチが何人かいた。
 そんな一人、アメリカ人のビンセント・パルマーはニカラグア野球についてこう言っていた。
「確かにここ(コロンビア)より環境は悪かったけれど、あのスタンドの熱狂はすばらしかった。来年開催されるなら、是非ニカラグアに戻りたいな」
 ファイナル・シリーズの最終戦では、首都マナグアの「デニス・マルチネス」球場のスタンドを2万5000人のファンが埋め尽くす。これほど野球人気の高い国だ。来年は必ずやリーグ戦が復活するに違いない。その先にはきっとカリビアン・シリーズ、WBCが待っている。
 昨日、嬉しいメールが私の元に届いた。あの「野球不毛の地」イスラエルのプロリーグが新たなスポンサーを見つけて再開に向けて動き出したそうだ。野球というスポーツは今まさに広がっているのだ。
  「Growing the Game」。世界を覆いつつあるプロ野球拡大の波がニカラグアに再び戻ってくることを祈って筆を置くことにしたい。

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。この冬は南米・コロンビアに飛び、現地の野球を体感してきた。

2009-01-30

ニカラグア野球紀行 第7回

 これまで当ブログにて「イスラエル野球紀行」「メキシコ・ウインターリーグ紀行」という2本の海外野球紀行を連載されていた石原豊一さん。(イスラエル野球紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat2140867/index.html
(メキシコ・ウインターリーグ紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat82358/index.html
 昨年末より、海外野球紀行シリーズ第3段にあたる「ニカラグア野球紀行」の連載がスタートしました。
 野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏が、知られざるニカラグア野球の現状を臨場感たっぷりの体験記として綴ってくれています。
 ニカラグア野球マニアの方も、「ニカラグア野球なんて聞いたことない」という方も楽しめる内容になっています。
 今回はプレーオフ進出を賭けた大一番の後半戦(前半戦の模様はこちら→http://kozo.weblogs.jp/kozo/2009/01/post-538e.html)。
 息の詰まる熱戦、男と男の意地のぶつかりあい。
 存分にニカラグア野球を堪能してください!

Tigres激戦を制して、2位を確定させたチナテンガ・ティグレスベンチ

■プライドの激突。そして、終戦 ――
 続く5番ゴルセットは死球で出塁、ツーアウトとはいえ、このランナーは何としても返して、試合を決めたい。次の打者は初回にホームランを打っているコンセプシオンだ。期待がかかる。
 しかし、このチャンスになぜかバッターのコンセプシオンは審判に何やら噛みついている。何だか不穏な空気がフィールドに漂う。
 初回に失点したものの、ここまで我慢の投球を続けてきた先発のモルーラだが、このホームランを食らった打者の態度にカチンときたようだ。初球いきなりのビーンボール。コンセプシオンのヘルメットをかすめた速球がバックネットにぶち当たった。コンセプシオンはモルーラを睨みつけながら、マウンドへ歩み寄る。一方のモルーラはマウンドで仁王立ちしてこれを迎える。両軍ベンチから大男達が飛び出してくる。ダイアモンド上でもみ合いが始まった。初回裏から両軍無得点のフラストレーションが、このデッドボールに続くビーンボールで一挙に噴き出した。盛りあがりに今ひとつ欠けていた試合に退屈していたスタンドのファンは大喜びで騒いでいる。
 騒ぎはなんとか収まり、退場者もなく試合再開。マウンド上のモルーラは中断明けの投球練習でもコンセプシオンの暴投を投げる。モルーラとコンセプシオンとの睨み合いは尚も続く。再開後の初球はどんな球でくるのか? もう1球ブラッシュボールを投げるのか。ネット裏の胸が高まる。
 2球目は、無難に外角球でストライク。マウンド上のモルーラは顔色ひとつ変えない。その後、ボール、ボール、ストライクでカウント2‐2、次が勝負球だ。お互いこの勝負で負けるわけには行かない。試合が半ば決まった中、バッターとピッチャーのプライドがぶつかり合う。
 少し腰を引き気味のバッターの打球がファールゾーンに力なく上がり、ファースト・デルガドのミットに収まった。
 マウンド上で吠えるモルーラ。バッターのコンセプシオンは屈辱のため顔を上げれない。初回のホームランなど彼の頭の中にはもはや残っていないだろう。
 闘志むき出しで孤軍奮闘していたモルーラ。しかし、9回にとどめを刺される。ワンアウトから下位打線の連打でティグレスは1点を追加、試合を決定づけた。モルーラはここでお役御免。フィエラスは最後の攻撃で2点を返すがそこまで。ティグレスが大事な最後の2位争いの天王山は幕を閉じた。

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。この冬は南米・コロンビアに飛び、現地の野球を体感してきた。

2009-01-23

ニカラグア野球紀行 第6回

 これまで当ブログにて「イスラエル野球紀行」「メキシコ・ウインターリーグ紀行」という2本の海外野球紀行を連載されていた石原豊一さん。(イスラエル野球紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat2140867/index.html
(メキシコ・ウインターリーグ紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat82358/index.html
 昨年末より、海外野球紀行シリーズ第3段にあたる「ニカラグア野球紀行」の連載がスタートしました。
 野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏が、知られざるニカラグア野球の現状を臨場感たっぷりの体験記として綴ってくれています。
 ニカラグア野球マニアの方も、「ニカラグア野球なんて聞いたことない」という方も楽しめる内容になっています。
 今回はプレーオフ進出を賭けた大一番の前半戦と、あの超大物メジャーリーガー2世のプレーぶりをお伝えします。。
 存分にニカラグア野球を堪能してください!

Stand_2大一番を前に外野席まで埋め尽くされたマサヤスタジアム

■運命の大一番
 試合が始まった。プレーオフ進出がかかった大一番だ。
 先頭打者バレンティンは初球からフルスイング。鋭い打球が左中間に伸びてゆく。あわや先頭打者ホームランかという二塁打。続くロメロがライト前に落とすと、3番バティスタのセンター前ヒットでたちまちのうちにチナンデガが先制した。
 その後、ツーアウトから6番コンセプシオンがレフトにホームランを叩き込んだ。早くも4点先制。2位フィエラスを引きずり降ろそうとティグレスも必死だ。
 それに引き換え、なんとかプレーオフ出場権を確保したいフィエラスは気持ちが守りに入ってしまっているのか、7回までノーヒット。4回裏に広島でプレーしていたジミー・ハーストのセンターへの大飛球があわやと思わせたが、これもホームランを打ったセンター、コンセプシオンのグラブに収まった。
 プレーオフ進出への最後の天王山ということもあって、スタンドは回を追うごとに熱気を帯びてきた。ネット裏から一、三塁ベースまでのメインスタンドの特別席は高価な価格設定にも関わらず、試合開始直後からほぼ満員となっていた。外野に面したスタンドと外野フェンスの向こうの簡易スタンドは通常はホームチームであるフィエラス側のライト周辺の一角だけが解放される。しかし、大入りとなったこの試合では、スタンドの全てを開け放ち、試合中盤を迎えるころには三塁、レフト側のスタンドもファンで埋まっていた。この観客のほとんどは地元・フィエラスのファン。フィエラスの好プレーや大飛球にどっと湧くスタンドは、ティグレスの攻撃時は人がいないかのように静まり返る。
 先制したティグレスもなかなか追加点を奪えない。2回以降も1安打ずつは出るのだが、2、3、4回と全て内野安打。5回にやっと先頭のバレンティンがレフト前に鋭い打球を放ち、なんとかツーアウト三塁に持ちこむ。続く4番バッターのレフトへの飛球はいったかと思われたが、これもフェンス前でお辞儀してレフトのグラブに収まった。レフトフェンスの向こうは、マサヤ湖。ここからの風がレフと方向への打球をことごとく押し戻す。

Jrニカラグアリーグの主役。人気抜群のピート・ローズJr

■ピート・ローズJr
 ところで、このティグレスの4番バッターはアメリカから途中加入した「助っ人」選手だ。そして彼こそニカラグアプロ野球の目玉選手である。彼の名はピート・ローズJr。あのメジャーリーグ・ナンバーワンのヒットメーカー、ピート・ローズの息子だ。
「客寄せ」のため一度はメジャーへ昇格したことがあるが、野球人生のほとんどはマイナー暮し。昨年の夏は独立リーグのアトランティックリーグで指名打者としてクリーンアップを打っていた。
 シーズンも終盤になってニカラグアにやって来て早速4番を任され、セカンドのポジションを与えられた。しかし肝心のホームランはなく、ファンや首脳陣の期待は大きく裏切っているが、メディアには連日話題を提供している。この日の試合前もラジオの取材を受けていた。
 私も彼と話したが、実にナイスガイでフレンドリーな男だった。アメリカとは雲泥の差の環境だが、来年も呼んでくれるならニカラグアに是非来たいと言っていた。
 その彼ももう38歳。そろそろ引退を考えてもいい年齢だ。ある意味「客寄せ」の野球人生だが、偉大な父と比較されるというプレッシャーの中、彼は好きな野球を今も続けている。本当に心の底から野球が好きなのだろう。そういう彼の生き様はかっこいいと私は思う。
 8回表、そのローズが打席に立った。この日ここまでノーヒット。試合を決定付ける一発に期待がかかったが、打球はショートに高く上がった――。

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。この冬は南米・コロンビアに飛び、現地の野球を体感してきた。

2009-01-16

ニカラグア野球紀行 第5回

 これまで当ブログにて「イスラエル野球紀行」「メキシコ・ウインターリーグ紀行」という2本の海外野球紀行を連載されていた石原豊一さん。(イスラエル野球紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat2140867/index.html
(メキシコ・ウインターリーグ紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat82358/index.html
 昨年末より、海外野球紀行シリーズ第3段にあたる「ニカラグア野球紀行」の連載がスタートしました。
 野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏が、知られざるニカラグア野球の現状を臨場感たっぷりの体験記として綴ってくれました。
 ニカラグア野球マニアの方も、「ニカラグア野球なんて聞いたことない」という方も楽しめる内容になっています。
 今回はニカラグア野球のアメリカ挑戦への現状と、タイトル争いについて紹介しています。
 存分にニカラグア野球を堪能してください!

■厚いメジャーへの壁
 私を囲んだ選手の中にずいぶんとフレンドリーなオフィリオ・カストロというニカラグア人がいた。夏はメジャーリーグのワシントン・ナショナルズの2Aでプレーしていた。選手不足から、主力は軒並みドミニカンを中心とした外国人というニカラグアリーグにあって、フィエラスの投打の主役は共にニカラグア人である。
 投の柱、ディエゴ・サンディーノはリーグで唯一の2ケタ勝利を達成。10勝無敗、防御率2.06という脅威の成績でシーズンを終えている。その彼でさえ、ルーキーということで、ウインターリーグ終了後は、プロ、つまりアメリカの球団との契約は勝ち取ることができず、国内のアマチュアのサマーリーグでプレーする予定だという。中米ではアマチュアの強豪として鳴らしているニカラグアでは、地域クラブで形成される国内リーグも盛んで、プロ球団もサマーリーグにチームをも持っている。

Castro_2熾烈な首位打者争いを制したオフィリオ・カストロ

■真っ向勝負のタイトル争い
 このシーズンも残り数試合という時期、カストロは打率ランキングの2位につけ1位の選手を猛追し、熾烈な首位打者争いを演じていた。この争いは最終戦で劇的なクライマックスを迎える。
 最終戦を前にして首位を守っていたメニュエル・メヒアが3打数無安打に終わると、カストロは5打数3安打で逆転。首位打者のタイトルを獲得した。日本ならこういう場合、1位の打者はベンチで相手の出方をうかがうというのが定番だが、ニカラグアではそういう姑息な発想はないようだ。いずれにしても、勝ったカストロにも、惜しくも首位打者を逃したメヒアにも拍手を送りたい。

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。この冬は南米・コロンビアに飛び、現地の野球を体感してきた。

2009-01-09

ニカラグア野球紀行 第4回

 これまで当ブログにて「イスラエル野球紀行」「メキシコ・ウインターリーグ紀行」という2本の海外野球紀行を連載されていた石原豊一さん。(イスラエル野球紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat2140867/index.html
(メキシコ・ウインターリーグ紀行→
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 昨年末より、海外野球紀行シリーズ第3段にあたる「ニカラグア野球紀行」の連載がスタートしました。
 野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏が、知られざるニカラグア野球の現状を臨場感たっぷりの体験記として綴ってくれました。
 ニカラグア野球マニアの方も、「ニカラグア野球なんて聞いたことない」という方も楽しめる内容になっています。
 今回はニカラグア野球の練習風景と、球団運営事情について紹介しています。
 存分にニカラグア野球を堪能してください!

■ケージなしで行うバッティング練習
 開門前のスタジアム周囲には早くも多くの人々が、うろついている。この日の試合は地元の2位・フィエラスと3位・ティグレスの大一番。首位を走るボエルはすでにレギュラーシーズンの1位通過を決めている。最下位のレオンも順位が確定しているので、プレーオフ進出権はこの両チームによって争われることになる。
 フィールドに足を運ぶと、フィエラスが試合前の練習をしていた。バッティング練習と平行して内野でノック、外野で投手陣の走り込みという、日本でもおなじみの風景だが、ただひとつ、大きく違うところがある。
 バッティング練習が1カ所で行われているのだ。その上ケージがない。コーチが投げるボールを打者は確実に打ち返す。ケージがないので、こちらにファウルボールが飛んでこないかと、不安になるが、打ち損じはほとんどない。そのバットコントロールにも感心するが、ピンポン球のように飛んで行く打球に、彼らのパワーを感じざるをえない。

Castro写真のようにユニフォームのいたるところにスポンサーのロゴが貼り付けられている

■ニカラグアの球団運営事情
 ベンチ前には、Tシャツを着た選手たちがたむろしていた。私がそちらに向かうと、すかさず選手たちが私を囲む。彼らの目には私のようなフィールドにいる外国人は皆スカウトに見えるのだ。私が尋ねる前から、選手たちは自分の名を連呼してくる。特にドミニカンにその傾向が強い。今やメジャーを席巻しているこの野球大国の選手たちは、常によりよい出稼ぎのチャンスを狙っているのだ。
 彼らが着ているTシャツには、この国の大手銀行のロゴが入っていた。スタジアムのフェンスにも広告が出ている。聞けばこの球団のオーナーがこの銀行らしい。なるほど、確かに彼らの試合用のユニフォームにもこの銀行の広告が入っているし、球場のチケットはこの銀行の名が入っただけの紙キレである。親会社としては、せっかく球団を持っているのだから、チームを使って存分に宣伝をしておこうということだろう。
 日本をはじめとするアジアのチームと違い、ラテンアメリカのチームは北米と同じく、チーム名には地名が冠されていて、地域密着型であると言われている。しかし、実際にはファンはチームのオーナーが誰か知っているし、今や選手たちのユニフォームは企業の広告で埋め尽くされているのだ。
 以前見た、レオン・レオーネスのビジター用ユニフォームの背番号の上には選手の名と共に地元企業の名前が入っていた。この日のフィエラスの対戦相手、チナンデガ・ティグレスのユニフォームは、ホーム、ビジターともに何の広告も入っていないが、このことはかえって球団の財政事情が厳しいことを示している。
  この夜のスタジアムの活気と比べると、チナンデガの球場は観客も少なく、ベンチ横の指定席でさえ、座席がなく、プラスチックの椅子が置かれているという有様だった。
 ちなみに、選手に聞いたところによると、他のチームのオーナーは全て個人が務めているという。貧しいと言われている中米の中にあっても、特に貧困さが強調されるこの国でも、富豪と言われる人間はいるのだろう。しかし、この格差がこの国の抱えている深刻な問題なのである。

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。この冬は南米・コロンビアに飛び、現地の野球を体感してきた。

2008-12-19

ニカラグア野球紀行 第3回

これまで当ブログにて「イスラエル野球紀行」「メキシコ・ウインターリーグ紀行」という2本の海外野球紀行を連載されていた石原豊一さん。(イスラエル野球紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat2140867/index.html
(メキシコ・ウインターリーグ紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat82358/index.html
今週から、海外野球紀行シリーズ第3段にあたる「ニカラグア野球紀行」の連載がスタートします。
野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏が、知られざるニカラグア野球の現状を臨場感たっぷりの体験記として綴ってくれました。
ニカラグア野球マニアの方も、「ニカラグア野球なんて聞いたことない」という方も楽しめる内容になっています。
存分にニカラグア野球を堪能してください!

Estadio_2ロベルト・クレメンテスタジアムの外観

■「悲劇の英雄」の名を冠するスタジアム
マサヤという街は首都マナグアと、この国随一の観光都市グラナダの中間にある。郊外にある成層火山と民芸品の里として有名で、ニカラグアを訪ねる外国人観光客が、ニカラグア湖とグラナダを観光したあと、必ずといっていいほど立ち寄るツーリスティックな街である。
グラナダからバスで30分。バスのウィンドウには野球の盛んなお国柄を反映して、ニューヨーク・ヤンキースのロゴをかたどったシールが貼りつけられている。バスターミナルはマナグアへのハイウェイから街に入ってすぐにあった。ここから町の中心を抜けて反対側、町はずれにある湖のほとりにスタジアムはある。
スタジアムの名は「ロベルト・クレメンテ」。
ラテンアメリカでは、スタジアムの名には人名がつけられることが多い。

Roberto球場内に飾られるクレメンテの肖像画と像

だいたいはその地にゆかりのある往年の名選手である。
首都マナグアの国立スタジアムには、この国が生んだ最大のメジャーリーグスター、デニス・マルチネスの名がつけられている。
しかし、クレメンテはニカラグア人ではなくプエルトリコ人だ。ニカラグア出身の名選手たちの中に名を連ねるプエルトリカンは、1972年にニカラグア全土に大きな被害をもたらしたニカラグア地震の際、このマサヤの人々に援助物資を手渡すべく飛び立ったまま、飛行機事故によって、大西洋のもくずと消えてしまった。
この町の人々は、彼に対するせめてもの礼にスタジアムの名にクレメンテの名を残した。スタンド下の通路には、クレメンテの写真と像が今も飾られている。

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。この冬は南米・コロンビアに飛び、現地の野球を体感してきた。

2008-12-12

ニカラグア野球紀行  第2回

これまで当ブログにて「イスラエル野球紀行」「メキシコ・ウインターリーグ紀行」という2本の海外野球紀行を連載されていた石原豊一さん。(イスラエル野球紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat2140867/index.html)
(メキシコ・ウインターリーグ紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat82358/index.html)
今週から、海外野球紀行シリーズ第3段にあたる「ニカラグア野球紀行」の連載がスタートします。
野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏が、知られざるニカラグア野球の現状を臨場感たっぷりの体験記として綴ってくれました。
ニカラグア野球マニアの方も、「ニカラグア野球なんて聞いたことない」という方も楽しめる内容になっています。
存分にニカラグア野球を堪能してください!

ニカラグアリーグを支える「助っ人」達
ニカラグアリーグには多くのドミニカンがいる。今や彼らは世界中の野球に欠かせない存在となっている。
しかしそれにしても、彼らはなぜニカラグアにやって来たのだろう?
彼らの母国では、ニカラグアと同じく冬にプロ野球が行われる。20世紀初めからのプロ野球の歴史があるドミニカの環境はニカラグアとは雲泥の差だ。
それをわざわざニカラグアまでくるとは、おそらく母国では雇ってくれる球団がなかったのだろうと思っていたが、本人に聞いてみると、答えは意外なものだった。
バティスタは、夏はアメリカでプレーしているドミニカ人だ。この夏(2007年)はメッツの3Aと2Aでプレーしたらしい。報酬は月3000ドルで、ここから税金が引かれる。
これまで冬の間はドミニカでプレーしていたが、ニカラグアの方が、条件が良かったのでこちらへ来たという。
ニカラグアでも月給3000ドルだが、それもアメリカとは違い、手取りでの金額だ。
「電話1本で、ドミニカのオーナーに断ったよ」とバティスタは言う。
月給の問題だけではない。メジャーリーガーぞろいの故国とは違いニカラグアではレギュラーとして毎日プレーできる。野球選手としてこのことはある意味給与以上に大切なことかも知れない。

世界を巡る流浪の野球職人たち
今や世界中に野球選手を「輸出」している野球大国ドミニカだが、メジャーリーガーになれるのはほんの一握りのエリートだけである。
ドミニカの選手の多くは、このバティスタのように夏も冬も、場所を変えて世界中を「出稼ぎ」している。
しかし、彼のように年中仕事にありつける選手は、恵まれている。北米やアジアのオフシーズンの冬の2~3カ月しか野球で稼げない選手もいる。
フィエラスのウィリー・レブロンもそのような選手のひとりだ。このニカラグアで仕事(チーム)を見つけ、シーズンが終われば故郷に帰って、アマチュアリーグでプレーするという。
ドミニカにはMLB傘下の「アカデミー」所属選手のためのサマーリーグもあるが、契約年数に限りのあるこのリーグにもはや彼と契約する球団はない。

Hurst5年前、広島に所属していたハーストは今もバット1本担いで野球をめぐる旅を続けている

同じフィエラスのジミー・ハーストはかつて日本の広島(2003年)でプレーしていた。広島といえば日本の球団で唯一ドミニカにアカデミーを持っているが、彼はドミニカンではなく、アメリカ人だ。ただし、メキシコでもプレーの経験のある彼はスペイン語に困ることはない。現在は月給4000ドルにつられて、はるばるイタリアまで出向いて夏を過ごしている。10年以上前には、メキシコでは月に1万ドルをもらっていたが、35歳になる彼にそのような高給を払ってくれるリーグはもうない。そのため、冬も月2800ドルでこのニカラグアでプレーしている。
「それに比べれば、日本は天国だったよ」とハーストは懐かしそうに広島時代を振り返った。彼が日本で残した成績はケガもあって43試合、打率.207、ホームラン5本。今となっては、大リーグや日本での華やいだ選手生活は一瞬の打ち上げ花火のようなものだったのかもしれない。
「Every dog has his day(誰にでも一度はいい時代があるものさ)」
しかし、彼は35歳になった今なお、世界中を渡り歩き、辿り着いた先でチームの主砲としてホームランを打ち続けている。

2008-12-05

ニカラグア野球紀行  第1回

これまで当ブログにて「イスラエル野球紀行」「メキシコ・ウインターリーグ紀行」という2本の海外野球紀行を連載されていた石原豊一さん。(イスラエル野球紀行→http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat2140867/index.html
(メキシコ・ウインターリーグ紀行→
http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat82358/index.html
今週から、海外野球紀行シリーズ第3段にあたる「ニカラグア野球紀行」の連載がスタートします。
野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏が、知られざるニカラグア野球の現状を臨場感たっぷりの体験記として綴ってくれました。
ニカラグア野球マニアの方も、「ニカラグア野球なんて聞いたことない」という方も楽しめる内容になっています。
存分にニカラグア野球を堪能してください!

ニカラグア野球の歴史

19世紀ニカラグアの大西洋側を支配していたのはイギリスだった。
そのため、ニカラグアで元々人気があったスポーツはクリケット。
この状況が変わったのは1880年、アメリカ人のビジネスマン、アルバート・アドレスバーグがニューオーリンズから野球の道具を運び入れ、人気のあったクリケットクラブを野球のクラブに変えてからのことである。
この時生まれたチーム「サザン」「フォアロセス」が1887年に対戦したのがこの国の「野球事始」である。

その後、1904年に現在まで続く名門クラブの「ボエル」がアメリカ領事カーター・ドナルドソンによって設立された。
この時期のニカラグアでは戦争にちなんでスポーツクラブの名をつけることが流行しており、「ボエル」というチーム名は南アフリカで勃発したボーア戦争から取ったものである。
同じ年には日露戦争があり、マサヤに「ロシア」「ジャパン」という名のチームが誕生している。

1914年からは国内トーナメントが始まる。
この時期、アメリカの影響力増大に伴って野球人気は高まっていった。
その後、1930年代にはドミニカやキューバのプロチームが来訪。
中米カリブ地域では両国に並ぶ強豪に成長していった。
そして1956年にはプロ野球が誕生する。
翌年から、冬季リーグ化したニカラグアリーグは、アメリカからの選手も受け入れ、発展していくが、1967年を最後に財政難から休止してしまう。
それでも、1970~90年代にはアマチュアの強豪として鳴らし、200勝投手デニス・マルチネスらのメジャーリーグも輩出した。

このニカラグアにプロ野球が再開したのは2004年冬。
「インディオス・デル・ボエル」(マナグア)、「ティグレス・デル・チナンデガ」「フェイエラス・デル・サンフェルナンド」(マサヤ)、「レオーネス・デ・レオン」の4チームが10月末から翌年1月までの間に52試合のレギュラーシーズンを争い、上位2チームによる7試合制のチャンピオンシップで雌雄を決するミニリーグとして運営されている。
2007年からは同じ4チーム制のコロンビアリーグのチャンピオンと国際シリーズを行うようになった。

ニカラグア野球の特徴

Stadiumニカラグアリーグのスタジアム。内野はデコボコで、外野は雑草が生い茂るなど恵まれた環境とは言い難い

ニカラグアリーグの特徴について、一言でいえば、パワフルでスピーディーということでまとめられる。
バッターはとにかく初球からどんどん振ってくる。相手投手の出方をうかがうなんていう日本流の駆け引きなどは皆無と言っていい。
下位の打者でも常にフルスイング。打線も1番から9番までパワーヒッターがそろっている。
投手の方も、打者をじらすような小細工はまったくと言っていいほどしないので、試合展開は実に早い。スコアをつけていて、ちょっと目を離した隙にいつのまにか2アウトなんていうこともしばしばだ。

現在のところそのレベルの低さからカリビアンシリーズの出場も許されていないが、実際ゲームを目にしてみると、そのレベルは決して低くはない。
前述の通り下位打線からでも長打の期待できる彼らの打撃力はスイングの速さに関しては、他の国のトッププロに決して引けをとることはない。
フィールディングに関しては、でこぼこだらけの内野に薄暗い外野という条件の悪さがあるので、日本やアメリカの選手と比較することは難しいが、かなりの力量のある選手が多いという印象を受ける。

球場の条件の悪さは折り紙つきだ。
フィールドは一見内外野一面緑が広がり美しい芝に覆われているように見えるが、この緑はほとんど雑草である。
ナイターで内野スタンドから外野の大飛球を目で追っても、フェンスに近づくにつれ見失ってしまう。この暗さで外野手が打球をなんなく捌くのには妙に感心してしまう。
スタンドはネット裏の特別席を除いて座席はなく、コンクリートの石段があるのみ。
日本の野球ファンから見ればとてもプロの試合を行えるレベルではない。
ちなみに入場料はネット裏で、日本円で1000円ほど、一、三塁のベースあたりで200円、日本で言う内野席の端の方や外野席(ない球場もあるが)は60円と格安。
その上、子どもは無料である。
日本人の感覚からすれば、それこそタダみたいに安いが、それでもネット裏や内野席は庶民には高値の花のようで、大方の観客は外野の方に集まっている。
これが現在のニカラグアの現実なのである。

Standスタンドの様子。子どもは無料なので、観客の多くが子どもたち

マサヤのスタジアムで売っていたユニフォームと帽子の価格はそれぞれ200コルドバ(1200円)と100コルドバ(600円)。
これらは選手の使用しているものと同じ仕様だ。
ニカラグアリーグのチームのキャップは、レオンを除く3チームはメジャーリーグのものと同じデザインのものを使用している。ボエルは頭文字が「B」なのでボストン・レッドソックス、チナンデガはニックネーム「ティグレス(英語でタイガース)」の「T」をとってテキサス・レンジャース、サンフェルナンドはサンフランシスコ・ジャイアンツのものと同じ帽子を選手もかぶっている。
帽子の後ろにはおなじみのMLBのロゴまで入っている。スタジアムの売店で売っていたものにはご丁寧にMLB御用達のNEW ERA社のシールまで貼ってあるが、無論これは偽物。
メキシコあたりでは、球場の周りでこういう「バッタもん」がよく売られているが、ここでは球団自体が、にせブランド品を選手に支給し、ファンに販売している。
これが現在のニカラグア経済の現状を示している。
球団自体が「偽物」を採用しているのだからMLBやNEW ERA社が知らないはずはないだろう。
しかし、現実には30ドル以上する「本物」など販売してもこの国では売れるはずがないし、選手に支給するにも各球団の財政事情が許さないだろう。

この国一番の観光都市、つまり治安の悪いこの国にあって比較的安全な町、グラナダの中心街を歩いている際、引ったくりにあった。
自転車に乗った少年が背後から近づいてきて、私がメキシコで買って被っていた「本物」のNEW ERA社の野球帽を奪って走り去っていたのだった。
幸い警察に届けたおかげで帽子は戻ってきた。
少年がその帽子を路上で売ろうとしていたところを通報されたのだ。
彼の言い値は日本円で300円ほどで、私の買値の10分の1だった。
彼には野球帽が30ドルもするなどとはとても想像できなかったのだろう。
これが現在のニカラグアなのである。
警官にその彼が逃げてしまってつかまえることができなかったと聞いて、被害にあったにもかかわらず、なんだかほっとしてしまった。

■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。この冬は南米・コロンビアに飛び、現地の野球を体感する予定。

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