ベースボール・ディアスポラ(野球離散民)を訪ねて 根鈴雄次(徳島インディゴソックス)編
野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏による「ベースボール・ディアスポラ(野球離散民)を訪ねて」。
今回の主役は、海外のリーグを渡り歩き、最近では国内の独立リーグでプレーしている根鈴雄次選手です。根鈴選手においては、2003年春に刊行された『野球小僧』NO.14の「続々・外伝 野球に憑かれた男「絆」」~“成人”を迎えた日本大学野球部監督・鈴木博識の指導者生活20年」で、高校、大学時代のその特異な経歴が岡邦行氏による深みのあるノンフィクションとして詳しく綴られています。あれから約9年の年月が過ぎた今も、現役にこだわる野球人のレポートをお楽しみください。
前編はこちらです。
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2010年秋、大阪にて
これより前、根鈴に会ったのは2010年の初秋のことだった。
9月に入ったとはいえ、この年の暑い夏は秋へと季節が移ろいゆくことを拒むかのように連日猛暑を記録し続けていた。おそらく世界中で最も暑い夏を迎えている大阪郊外の小さな野球場では、真っ昼間から男たちが大汗を流していた。
「みんな上手やねえ」
金網越しに男たちの練習風景を見ていた老人は、彼らのプレーに驚嘆の声をあげていた。この球場で週末にプレーするのは草野球の軟式チームと相場が決まっているせいか、老人は自分が覘き見ているのがプロ野球とは思わなかったようだった。100人ほどしかいない観衆からは、そう思いつかないのも無理のないことだった。
「長崎より暑いですよ」
九州からはるばるやって来た紺色のユニフォームに身を包んだ若い選手は、照りつける太陽を恨めしそうに仰いだ。その陽をたっぷりと吸った10段ほどのスタンドの椅子は、すでに人が座るには暑すぎるほど熱を帯びている。
同じ九州にフランチャイズを置いていた福岡レッドワーブラーズが財政難のため活動を休止したことも加わって、長崎をホームとする長崎セインツは、長距離の遠征にあらゆる面で悩まされていた。不況の中、他のチーム同様、セインツをとりまく財政状況は厳しい。さらにこの年は、四国・九州アイランドリーグ(当時)は、新興のジャパン・フューチャーベースボールリーグと交流戦を行い、これをペナントレースに組み入れていた。セインツは、長崎からオーナー直々に運転するマイクロバスで、初戦のナイトゲームが行われる三重まで移動。三重での試合後、そのまま深夜に大阪入りし、その翌日の灼熱のデーゲームに臨んでいた。途中フェリーを使ったとはいえ、ある意味アメリカのマイナーリーグより過酷な遠征である。
「向こう(アメリカ)は、こういうのが普通なんでね。でも、こっちは四国だったり、関西だったりでしょ。三重だったら18時間くらいかかるんですよ。試合は週末だけだから、週の頭は佐世保で練習でしょ。けっこうそういうのってリズムつかめないんですよね。毎日が移動ならそれはそれで慣れちゃうんですけど」
アメリカ独立リーグでトラベリングチーム(本拠地を持たず、ビジターゲームだけを行うチーム)を経験していた根鈴は、この年のセインツの苦境をこう語った。いくら週末の移動距離が長いとはいえ、週の半分は本拠地のアパートで過ごせる日本での生活の方が楽なのではないかと思うのだが、彼の口から出たのは意外な言葉だった。
彼のようなアメリカでのマイナー暮らしを経験していない若い選手にとっても、灼熱の西日本をバスで縦断する移動は過酷なもののようで、昨シーズン、リーグチャンピオンシップまで進んだ面影は、セインツからは失せていた。
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現場とフロントとの乖離
「そんなことじゃダメなんですけどね。気持ちの問題ですよ」
平日は、本業の事業に携わる一方で、球団維持のために方々へ金策に走った上、週末は自らハンドルを握って遠征に帯同するオーナーは、思いのままにならない球団経営と覇気がなく前期・後期とも低迷しているチーム状況に苛立ちを隠さなかった。過酷な遠征にも「営業よりは楽ですよ」というオーナーだったが、無精髭を生やしたままのその表情からは疲労がにじみ出ていた。彼がチーム存続に一縷の望みをかけ、日々駈けずりまわっている営業活動にも、現場は理解を示そうとせず、その協力に応じなかった監督の長富浩志はチームを去っていった。
少数の観客の前での学芸会のようないくつかのセレモニーの後、試合が開始された。
米独立リーグやマイナー経験が長い根鈴でも過酷な遠征を繰り返していた、セインツ時代 |
クリーンナップの先頭、3番を任された根鈴の打球は力なく三遊間に転がった。若い頃よりもいくぶん体に丸みを帯びたベテランは懸命に一塁へ走ったが、ショートストップからの送球はわずかに早くファーストミットに収まる。
「結構速いじゃないですか」という私の台詞にオーナーは、
「彼も本気で走ればもう少し速く走れるんですけどね。今年は気がいまひとつ入ってないというか。バッティングもいまいちですね」
と、辛口の評価を下した。低迷するチームにオーナーは、気持ちが足りない、と不満を隠さな いが、長距離の移動と酷暑が、根鈴だけでなく、セインツの選手たちの体を蝕んでいるのは明らかだった。それに加えて、選手生活を続けていく上での先の見え ない不安。先の見えぬ不況の中、チームのスポンサーは思うように現れず、結局集まったのは200万円。8000万の運営費は、オーナーが苦労して築き挙げた様々な事業を投げ出しても回収できるようなものではなかった。
「どうも(セインツは)今年限りなんですよ」
根鈴は試合前、自分の所属チームが消滅するだろうことを私の耳に入れてくれていた。現場も、フロントも含めたチーム全体が、このチームは今年限りでなくなるだろう、ということをうすうす感じている。すでにチームがペナントレースから脱落した上、所属チームがなくなる可能性が高い、という現実を前に、モチベーションを保てという方が、ある意味で無茶な注文と言えた。
チームは結局、先制しながら、その後の相手のミスにつけこむことができず、明らかに技量の劣る新興リーグのチームに逆転負けを喫した。根鈴は、3打席で交替し、代打を送られたが、観客もまばらなスタンドからは特段の反応もなかった。この日この球場を訪れた独立リーグの熱心なファンも、彼がかつては日本人初のメジャー野手になりかけたことを知らないのだろう。
その男、根鈴雄二は10年前、フロリダでのモントリオール・エキスポズのスプリング・トレーニングに参加した。オープン戦での好調で、大きな夢をつかみかけていた彼を待っていたのは突然の解雇通告だった。
「日本人で左投げ左打ちっていうのはやっぱり不利なんですよ。そういう奴のポジションはやっぱり一塁か外野のスラッガーでしょ。僕とどうしてもかぶるんですよ」
と根鈴は言うが、同じ年、アリゾナのスプリング・トレーニングに挑戦したイチローは、根鈴が名乗るはずだった日本人初のメジャー野手の称号を手にし、スターダムにのし上がった。メジャーの大男たちの 持つパワーはイチローにはなかったが、走攻守全ての面においてメジャーリーガーを凌駕する技術とスピードを持ち合わせていた。メジャーリーグが日本人選手 に求めるこの「技」を根鈴は身につけることができなかった。日本人選手の多くがこれを身につける高校、あるいは大学時代、彼は少々の遠回りをしたのだ。
《続く》



プレーできる場所があれば自然とそこへ行く。根鈴はそんな感覚でこの日もグラウンドに来ていた
2010~11年のABLに参戦したムン・キュヒュン(韓国ロッテ)。
試合後、取材に応じてくれたイ・ジョンミン(左)とムン・キュヒュン(右)
オーストラリアン・ベースボール・リーグ(ABL)の雰囲気はどのようなものか? と聞かれれば、「ここはやはり豪州」と答えるべきか。リーグ運営にもプレーにもおおらかさが漂っている。
プレー以外では、常になごやかでのんびりした光景が目に付くオーストラリアのリーグ。それもこの国の野球の一部だ
野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏による
インタビューに応じる前川投手。年齢とともに貫禄も出てきた
NPB復帰を目指して、今年、そしてこの先、前川投手はどこでプレーするのだろうか
野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏。過去、当ブログにて、自ら赴いて体験してきた世界の野球を綴った
イニング間にグランドを周回した協賛者の「のぼり」は、観客席のフェンスにも数多く掲げられた
選手名を紹介するタペストリー風のネームクロスには、熱心なファンからのメッセージが寄せ書きされている。これも「おらが球団」独立リーグならではの光景だ
試合会場のいきなスポレク(
球場の外では、着ぐるみのマスコットが動きまわり、子供たちを中心に観客を盛り上げる
イニング間にグラウンドを周回するスポンサー企業の“のぼり”。スタンドを囲むネットにも数多く掲げられていた
特産品を受け取る大阪ゴールドビリケーンズ・村上隆行監督(左)と愛媛マンダリンパイレーツ・沖泰司監督(右)
試合前のセレモニーの風景。愛媛マンダリンパイレーツのような地元密着の姿勢を一貫することで、地方公共団体の支援を得ながらチームを運営していく手法は、現在の国内独立リーグにおける唯一の光明となっている
上島町長・上村俊之氏が試合前に熱のこもった挨拶をした
始球式の模様。観客の数は決して多いとは言えなかったが、球場周辺はお祭りムードとなった
今回は瀬戸内海の離島が集まる上島町が舞台となる
イベント会場に掲げられた垂れ幕
野球を求めて世界を巡る“放浪野球観戦”の第一人者・石原豊一氏がお送りする、
2010年、アメリカでプレーすることを考えていた長坂だったが、最終的にBCリーグ・新潟アルビレックスでプレーする意志を固め5月中旬に入団した
球団マスコットとツーショット。BCリーグでは38回1/3を投げて防御率0.94と格の違いを見せつけている
アルゼンチン出身の日系人、福永満クラウディオ選手。その野球人生のあゆみとは!?
海外での経験を踏まえ、日本の独立リーグについて話す長坂選手
事務所を訪れると、アレシボ・ロボスのオーナー、クルス・ベンザン氏が出迎えてくれた
コーチのイバン・クルーズ。阪神、中日などでプレーした経験をもつ
「引退後のことはまったく考えていない」、「1年1年という感じ」と話した高橋建投手。年齢を感じさせないピッチングスタイルに魅せられるファンも多い。来年もぜひ元気な姿を見せて欲しい
3Aのスタジアムを訪れた際の高橋は、予想以上にリラックスした状態で気さくに迎えてくれた
メジャーについては若い頃から憧れていたワケではない。年齢を重ねていく中で湧いてきたものだった
独立リーグでは中途半端な満足感を得ることによって、「ズレ」が生じる選手が出る。国内外でそういった選手を数多く見てきた前田(写真一番左)にとって、彼らを見る目は当然厳しくなる
来年以降はどこのフィールドでプレーを続けるのか? 野球ができる限り、ベースボール・ディアスポラ・前田勝宏の歩みが止まることはないだろう
長崎セインツのオーナ兼球団社長の地頭薗哲郎氏。苦しい経営難の中、資金繰りや球団運営に奔走する
『野球小僧』編集部ログでしか読むことの出来ない「流離いの海外野球放浪観戦者(?)」こと
前田勝宏投手は外国のプロ野球を巡ったあと、昨年久々に日本に帰国。長崎セインツを経て、今年は明石でプレーする
『野球小僧』編集部ログでしか読むことの出来ない「流離いの海外野球放浪観戦者(?)」こと
外国のプロ野球をめぐり巡って、ようやく日本に戻ってきた前田勝宏投手(写真は明石レッドソルジャーズでプレーする今季の姿)
外国のプロ野球をさまよい続け、ようやく日本に戻ってきた現在も明石レッドソルジャー・前田勝宏投手
西武から始まった流浪の野球人生を経て、現在も明石レッドソルジャーで投げ続ける前田勝宏投手
現在も明石レッドソルジャーで投げ続ける前田勝宏。2001年に中日を退団後、いよいよ流浪の野球人生が本格的に始まる
現在、前田投手が所属する関西独立リーグ。球団経営等、揺れ動く中、選手達は必死にプレーを続ける
関西独立リーグで投げ続ける前田勝宏。13年前に渡米したときの体験を、今改めて振り返る
姫路城をバックに投げる前田投手。彼のプロ入り当初からの投手人生を振り返る
海外で波瀾万丈の野球人生を送ってきた前田勝宏投手。帰国後プレーする独立リーグも四国・九州アイランドリーグに続いて2つ目となる







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