▼前期優勝チーム・長崎セインツの実状を緊急ルポで紹介
高知ファイティングドッグスの3連勝でリーグチャンピオンが決定した四国・九州アイランドリーグ。一方、シリーズで敗れたものの、前期優勝を果たした長崎セインツは、厳しい経営状況の中でオーナーの地頭薗哲郎氏がチームの維持に奔走していました。
実際、資金繰りに苦しむ長崎セインツは、来季の球団運営の目処もいまだたっていない切迫した状況とのことで、樽募金を開始するなど、公式サイトでも広く寄付を求めています。
このような状況に対して、独立リーグ誕生当初からリーグの運営に着目していた世界を放浪する野球観戦家・石原豊一氏が詳しい実状を取材、このたび緊急ルポとしてまとめました。今回が第2回です。数回にわたって間をおかずに掲載していく予定です。
●第1回を読んでいない方はコチラ→ http://kozo.weblogs.jp/kozo/2009/10/post-bfd9.html
●第2回を読んでいない方はコチラ→ http://kozo.weblogs.jp/kozo/2009/10/post-66f1.html
また、文末に長崎セインツへの募金先についても案内しています。もし、このルポをご覧頂いた方で、寄付をお考えの方はそちらにお願いいたします。
それでは、緊急ルポのスタートです。
がんばれ長崎セインツ
苦闘する独立リーグの現状と球界のドンキホーテ 地頭薗哲郎(セインツオーナー)
シーズン終盤の強行日程
今年の大型連休、「シルバーウィーク」は、セインツにとって最後の稼ぎ時となった。本来なら、連休の初めにレギュラーシーズンは終わる予定だったのだが、雨で流れた試合がここまで繰り越され、セインツはシーズンの最後の6日で、ダブルヘッダーを含む7連戦という、主に週末に試合を組む独立リーグには珍しい強行日程をこなすことになった。
選手にはきつい日程だが、大型連休と重なったおかげで、本来消化試合となる連戦を「ラストセブンゲーム」と銘打つことができた。営業的にはスポンサーを集めてキャンペーンを打つことができたのだ。来シーズンへの期待も込めて、県内の小・中学校に招待券を配布し、親子連れの来場を見込んだこのシリーズは、目論見通り平均857人の観客を集めた。この数字は、不入り球団としては上々の入りだった。
最終戦となるダブルヘッダーは、県北部の町、平戸で行われた。かつて南蛮貿易で栄えた港町も、今ではすっかり都市化から取り残され、観光シーズンに歴史ファンが訪れるくらいのうら寂しい町に変わってしまっている。
本来なら、この町にとって「プロ野球」の来訪は大きなイベントとなるべきなのだが、町にはポスターが貼ってあるわけでもない。連休最後の試合の存在について、町の住民ですら、その多くは知らないようだった。
早朝から降り続いていた雨は、9時ごろにはあがっていた。この週末、天気予報はことごとく雨だったが、「セインツ」の名に免じてか、神様は試合だけはできるよう取り計らってくれているようだった。昨夜の佐世保の試合も悪天候の合間をぬって何とか消化することができている。
この町の野球場は市街地を見下ろす丘の上にある。街中の「あと1キロ」の標識を真に受けて、バスを使わずに向かったが、ひたすら坂を登る羽目になり、球場についたころには汗まみれになっていた。フィールドは山を削ってつくられており、入口からネット裏までは長い階段を下るようになっている。階段からは町のシンボルであるザビエル聖堂と、その先に海が臨めた。選手、スタッフ一同はすでに到着しており、ユニフォーム姿の男達が、外野フェンスにスポンサーの横断幕を取り付けていた。
試合当日はオーナーが片時も休まず裏方に奔走
試合当日、地頭薗は一時も休まない。
この日も、朝4時から球場で販売する食事の仕込みをした上で、球場に乗り込んでいた。セインツの試合には、焼き鳥やのワゴン屋台だけは毎試合ついてきてくれるが、あとは本拠地佐世保で出店するカレー屋しかない。
「野球で地域の活性化を」と叫ぶ彼にとっては、試合当日の球場はお祭りの空間でなければならない。食べ物の屋台は祭りの演出には欠かせない。そこで外食店を営む地頭薗自ら球場に店を出すのだが、その分、仕事は増えてゆく一方だ。おまけに平戸のような小さな球場には設備がないので、オーナー一家総出でおにぎり、から揚げ、焼きそばなどを作り、レンジを持って球場に出向くことになる。
試合前には大体地元コミュニティを迎えてのイベントがあるのだが、その司会もオーナー自ら行う。その多くは、少年野球チームのメンバーが、セインツの先発メンバーとともに初回の守備位置に走っていく…というアメリカでおなじみの企画なのだが、その際も地頭薗はマイクを持ち観客に挨拶、フィールドの少年たちに将来の夢を聞いて回る。
「ケータイやゲームか氾濫する中、子供がすくすく育つ環境をつくりたいんですよ。それがいい街づくりの第一歩だと思うんですよね」
と、地頭薗は語る。プレー経験のない彼にとって、その手段が野球になったのは偶然の結果である。採算の見込みのないプロ野球経営に乗り出したのは、ひとえに地域の活性化のためだったという。高齢化社会を迎え、学校体育の延長でしかなかったスポーツを、生涯行えるような環境にするため、スポーツ文化を地域社会に根付かせたいという思いもある。
「その理念は自チームの選手にも伝えているが、なかなか浸透はしていない」という彼の横顔にはもどかしさが浮かんでいた。そういう精神面の向上心の不足が、実技面での成長に響いていると地頭薗は見ている。
「野球を続けたい、と言ってここまで集まってくる選手たちは、みんなプロになりたいんですよ」
彼らの夢が分かっているだけに、選手に対する目線も当然厳しくなってくる。地域のコミュニケーションの場としてだけではなく、NPBという夢への登竜門としても、セインツを位置づけている彼にとっては、選手のプレーのひとつひとつに至るまでが気になるようだ。
「こうして、音響を操作していると、選手の状態もよく分かるんですよね。調子が悪い選手は、ベンチからバッターボックスまですぐに到着してしまう。当たっているときは、自分のテンポでゆっくり登場するんですよ」
彼は、インニング間やホームチームの攻撃の際の選手の登場時の音楽も担当している。本来なら専任のスタッフがすべきこの仕事までオーナーがこなすのは、正直激務であろう。だが、彼はこの仕事さえも選手観察の場として楽しんでいるようだった。
セインツを立ち上げた理念
地頭薗哲郎オーナーにとって、長崎セインツは地域活性化のための重要な手段である。その設立は、姉妹都市アメリカ・セントポール市で成功していた“本家”セインツの成功を目の当たりにしたのがきっかけだった |
地頭薗は、元々、野球に興味があるわけではなかった。
地方都市の衰退という日本のどこでも見られる状況を自分が生まれ育った佐世保で目の当たりにするにつけ、何とか地域を盛り上げたいと思い、NGOを立ち上げ、NPBの2軍戦を誘致するなどその方策を模索していた。
そこに持ち上がったのが、佐世保市とアメリカ・セントポール市の姉妹都市提携締結50周年の記念行事だった。セントポールの町の自慢は、マイナーリーグ随一の人気を誇る独立リーグのチーム、セインツだった。このチームを佐世保に招待しようという話が持ち上がり、そのマネージメントが地頭薗に託された。
「それで、セントポールに行って、試合を見たんですよ。目からウロコ。隣町のメジャーリーグの球場は閑古鳥が鳴いてるのに、こっちは人でいっぱい。(地域活性化には)これだ! と思いましたね」
無論、球場の規模は違うが、当時低迷を続けていた大リーグ、ツインズのドーム球場は球団の消滅が検討されるほど不入りだった。それに比べ、元メジャーリーガーも多く在籍する独立リーグの強豪、セインツのミッドウェイ・スタジアムは6000人収容の規模ながら、スタンドは常に満員の客を集めていた。その事業規模は6億円にも上るという。
野球というスポーツとエンタテイメントがコミュニティと融合する。その様子に心打たれた地頭薗は、1500万円の私費を投じてセントポール・セインツを招待。アマチュアのクラブチームとの対戦だけではつまらないと、アイランドリーグに話を持ちかけ、史上初の独立リーグチームによる「日米野球」を実現させた。これがきっかけとなって、プロ球団長崎セインツの設立となったのだ。
当初予定していた九州リーグは参加チームが集まらず挫折したが、アイランドリーグに加入し、2年目の今年は前期優勝を飾るまでチームは成長した。
<続く>
長崎セインツでは来季運営資金に対する募金を行っております
チーム存続のため、ひいては野球界の将来のためにも、みなさまの温かいご支援をお待ちしております。
■募金振込先
親和銀行 本店営業部 普通 2950254
株式会社県民球団長崎セインツ
●長崎セインツ公式サイト
http://www.dreamerproject.com/index.htm
■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流浪の野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。昨冬は南米・コロンビアに飛び、現地の野球を体感してきた。
※次回も準備が整い次第、近日中に公開いたします。